心の自由。その責任

 昔、入院した時、会社の上司が見舞いに来てくれるというのでシェー
クスピアの本を頼んだら、ただ安静にするのが目的でも、入院させられ
るだけあり、暇はあっても字を追うだけの気力が出なかった。
 そこへいくと、風邪は鼻水たらしていようが咳き込もうが軽症だ。衣
替えや部屋の掃除を堂々と自己免除して、たまった本を読破! と思っ
た尻から、もしできるんだったら……と気弱になるのは、本国では賞も
取ったというフランスの翻訳小説が遅々として読み進められないせい。
 風邪でも頭の働きは鈍るものなのか、単に本がおもしろくないだけか
と思い悩んでいるうちに貸出期限がきて、“完読”をあきらめた。また
いつか。あるいは原著が手に入ったら、スムーズに読み通せるかもしれ
ない。
 翻訳は日本語にない言い回しが思考を活性化してくれる醍醐味がある
が、漢字の多さやなんやかやで、見るからにとっつきにくくなってしま
う作品もある。アゴタ・クリストフも、日本語で読んでいたら私の最愛
の書になっていたかどうか。
 さて、返却日からいくと、次の候補も翻訳物になった。同じ結果にな
りそうな不安を抱いたものの、これは割と一気に読み切れた。
 生後8ヶ月目に手術に失敗し、男性器を奪われた男の子が、女の子と
して養育され、のちに事実を知った本人の意志で元の性を獲得し直すま
でを描いたノンフィクション、『ブレンダと呼ばれた少年』。
 ブレンダは、自分自身が、男女の性差は環境によって作られるという
ジョン・マネー博士の理論を正当化する事例にされたと知り、自分と同
じような人間があとに続かないようにと、取材に応じて、過去の心の葛
藤を明かし、この本が生まれた。
 その道の権威者がどれだけ自説に固執し、独断専行の態度になれるか。
その下で揉み消される反対意見。しかし、30年以上の月日は要しても、
真実は日の目を見る。それを成し遂げたのが、疑問を疑問のままにでき
ない、その意味で自分自身に正直な人達の存在であった、というような
展開は、水戸黄門のテレビを見終えたような気分にしてくれた。
 でも、育て方次第で男の子を女の子にできるなんて、そこらへんの子
供達をちょっと観察しただけでも荒唐無稽とわかりそうなものなのに、
それが長年医学界の常識としてまかり通ったと知るにつけても、自身の
頭で考え、疑い、判断する大切さを再確認させられる。