菊人形考

 大阪、枚方(ひらかた)市の遊園地、ひらかたパークで96年間続い
た「ひらかた大菊人形」展が12月4日をもって閉幕となる。最大の理
由は菊師の後継者難だと言うけれど、どうだかなあ。
 昔から一度すたれたら二度と復元できないと言われる高度な伝統技術
で死滅の道を辿ったものは少なくないが、どれもみな、技術力とは別の
「絶対それを生で見たいか」とか「どうしてもそれを手に入れたいか」
という点で力がなくなったからではないか。人々を強く惹きつける“ソ
フト”面が時代にそぐわなくなったのだ。
 菊人形の場合、そのソフトを考えるのは職人ではなく企画プロデュー
スに携わる者の範疇なので、私の怒りは必然的にそちらに向かう。
 もし、それが本当に貴重な伝統芸術だと思うなら、是が非でも未来に
繋ぐ手だてを考えるべきじゃあないの。どうして、入場者数が激減する
のを、ただぼんやり見守ってこられたの。
 今年のテーマは『義経』で、壇ノ浦の戦い静御前の舞いの場面がテ
レビで紹介されていたけれど、いまいちピンとこなかった。歴史に弱す
ぎる私という特殊事情を割り引いても、そうやってテレビで見たら、も
う十分、という人は案外多かったのではないか。
 これまでは確実に視聴率が稼げたテレビの時代物ですら人々にそっぽ
をむかれる現代。もしかしたら歴史絵巻という発想自体が古くなってい
るのかもしれないけれど、あくまでそれにこだわるのであれば、顔の半
分以上がお目々の少女漫画やアニメ世代に受ける人形を考えてみてもよ
かっただろうし、あっと度胆を抜く仕掛けを試してみてもよかっただろ
う。
 舞台の脇に日本語の字幕を映写することにした文楽は、そうでもしな
ければ未来はないと、関係者が涙を呑んで不本意な変化を受け入れたの
だ。
 とは言うものの、人々の果物離れを食い止めようと、品種改良して、
皮が薄くむきやすく、かつ中の身が袋ごと食べられるようになった柑橘
類だとか、皮ごと食べられる葡萄が出回ると聞くと、「なにィ。手が汚
れるのが嫌だァ、むく手間が面倒臭いだァ」と声が裏返り、「そんな物
臭(ものぐさ)人間に迎合してどうする!」と一喝したくなるから、い
い加減なものだ。 
 だけどさあ。何でもかんでも糖度優先で、酸っぱい林檎が手に入らな
くなったのは、本当に悲しいのよね。