貸金庫

 親が銀行に貸金庫を借りている。
 この事実により、家の防犯体制を信用していない親だったのだ、と理
解できたが、銀行が、金庫室を移動し、中の貸金庫も新しいものに替え
るというので、鍵の引き渡し日にお供で行った。
 どの貸金庫になるかは早い者勝ちで選ばせてもらえると聞き、日を早
めてもらったおかげで、手をすっと伸ばした位置を確保できた。四、五
メートルの高さに梯子で登って出し入れするなんて、おっかなくってヤ
だもんね。
 さて、金庫室を出、最後の手続きも済ませてから、私はおもむろに質
問した。「これまでと比べて、安全性が劣る心配はありませんか」
 今までは、来訪の意図を告げると、契約者本人が行員の目の前で入室
時間と名前を書き、印鑑を押し、それを行員が保管してある用紙と照合
してから、共に金庫室に入り、貸金庫に二つある鍵穴の一つに契約者、
もう一つに行員が鍵を入れ、貸金庫の扉が開いたのを見届けて、やっと
行員が客から離れる手順になっていた。
 それが、今度から、金庫室への出入りは磁気カード。しかも契約者が
指定したもう一人にも付与され、このカードと暗証番号で金庫室に入る
というのだが、この時点までに行員との接触がなかったのだから、貸金
庫の鍵穴も一つで、行員用はない。
 貸金庫と言っても、金庫室の三つのブースのすでに二つには人影が、
ということも多く、密室のおもわぬ混雑に戸惑ったものだが、入室の際、
行員に面(めん)は割れているし、提出した用紙に指紋も残っている。
金庫室を出る時も、行員から「ありがとうごさいました」と声をかけら
れるので、万一、客の誰かが中で窃盗犯への変身願望に駆られても、実
行しづらいであろう、と心をなだめていた。
 ところが、もはや行員は一切ノータッチとなったのである。
 金庫室自体も行員の持ち場から遠く離れた。
「じゃあ、中に防犯カメラはあるんですか」。
 なかったのを承知で訊ねると、「今のところ、ありません……」。
 入室までの手続きが面倒で、もうやめようか、と言い出していた母。
 まさしく、その煩わしさこそが犯罪の抑止効果になっていたのに。
 そんなことは百も承知で、銀行は人件費削減を優先させた。
 それとも、金を貸す際の冷徹なる用心深さは棚に上げ、当行のお客様
をそこまで疑う必然性を感じませんでした、と言い張るだろうか。