自分探し

 自分のことは自分自身が一番わからない、とはよく言われることだが、
それをわからないまま放置せず、理解しよう、というのが、今はやりの
「自分探し」だろうか。
 では、それは、どうやれば探し出せるのか。
 以前、テレビ番組で、安住紳一郎泉ピン子金比羅さんに行き、遠
く関東から「自分探しの旅に来た」という二十歳ぐらいの一人旅の女性
と出会い、ピン子が「へえー。私なんか生きるので精一杯で、この歳ま
で、そんなこと考える閑もなかった」と言ったのには、深く頷けた。
「衣食足りて礼節を知る」だが、「衣食足りて、ようやく、かような哲
学的命題にも取り組む心の余裕ができる」わけでもあるからだ。
 だけど、旅に出ても自分は探し出せないだろう。もし、それで何かが
解決できたとするなら、その人は、日々の繰り返しや今の環境に閉塞し
ていて、外からの刺激でパッと明るく心が弾めば、また、明日から元気
に生きてゆける人だったのだ。だって、見知らぬ土地に行ったら、電車
に乗ること一つ取っても日頃の習慣で無意識にできてしまえることはな
く、五感を全開にして外部に立ち向かわねばならない。自分自身への興
味関心はひとまず脇に置くことになり、もっとも“自分探し”とかけ離
れた行為となるのである。
 でも、私は、養老孟司が「“自分探し”などと言いますが、“本当の
自分”を見つけるのは実に簡単です。今そこにいるのです」と言うほど、
つれなく突っぱねることはできない。かくいう私も、ある意味、“自分
探し”に没頭しているところがあるからだ。
 私の場合、こう言われたらこう反応し、あるいはこう思考する仕方が
なんかワンパターンだなあ、と気づいた時が始まりだったのではないか。
 どうして私の心はそう動いたのか、と考えてみると、どうやら自尊心
を傷つけられたからのようだ。あるいは、嫉妬、軽蔑、自信のなさ、自
己嫌悪……。
 まあ、仕方ないか。私もそれほど上等な人間ではないもんね。
 しかし、そうとわかると、むやみに感情的にならなくなるし、もし、
そういう心の動きが自分自身にとって毒にしかならないとわかれば、コ
トロールするようにもなる。
 結果、今までよりも心が平和になる。
 そう。私にとっての自分探しの最終目的は、たぶん、それだな。
 自分の心の動きを見つめることで、きのうと違う自分になる。
「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」のだ。