自分を出したら嫌われる?

「あなたは自信がありますか」と聞かれると、なぜか「はい」と答えづ
らい気持ちになるのは普通のことだろう。
 自信がないわけではないけれど、胸を張って肯定し、あとで引っ込み
がつかなくなっても困る、と予防線を張ってしまう。しかし、それは謙
虚な姿勢とも受け取られて、日本では、案外、受けはよい。
 小学生の時、漢字の試験のあとで、先生から「全部できたと思う人」
と質問が発せられ、私は「はい」と勢いよく手を挙げた。
 先生は「できたと思う人」と聞かれたのであって、現実に百点が取れ
たかどうかを問題にされているのではない。私はすべてに解答し、その
どれにも不安が残らなかったから、「できたと思う人」。  
 そんな理屈をこねて、あえて目立つ行為に出たのは、周りの出方を様
子見して沈黙し続ける同級生が歯痒く思えたからでもある。
 自信とは、根拠のない空威張りではない。努力して身についたと自分
自身が判断できる事やレベルまでならば引き受けられると意思表明でき
る態度。
 私は自分自身に自信がある。
 なので、恋愛の本に「自分を愛せない女性は、自己評価が低く、“魅
力がないから好かれないのでは”と考え、怖くて本当の自分が出せない」
とか「自分を愛せない人は心が欠乏感や不安で一杯で、こんな自分はダ
メだと思い、人からの評価を過剰に気にする」と書かれているのを、ひ
とごととして読んだ。
 ところが、実は私も、ある特定の人達に対しては、ありのままの自分
自身を出せていなかった。惚れた相手や、よく思われたい相手に対して、
自分の気質を全開したのでは嫌われる、と言われなき思い込みに囚われ
ていたようなのだ。
 あの幼い日、漢字テストのあとに手を挙げ、自信を隠すことを美徳と
みなさない私であると表明したのはいいけれど、そういう態度がいつも
歓迎されるわけではない、とも感じ、私の内なる気の強さを、時に誇ら
しく、時にまずいと感じるというように、私の中で評価が定まりきれず
にいたからだろう。
 自信なら傲慢なほど持っていると思っていた私にも、自己評価が低く
なる場面があったのだ。
 自分自身を知る道は遠い。