行動は正直

 私はMac愛好者で、いかに職場でWindowsに馴らされようと、それは
それ、と区別して、静かに二刀流を貫いている。この忠実さは私だけで
はないだろうが、なんだか、我らは隠れキリシタン、という気分になっ
てくる。いや、マイナーの優越感というのもあるかな。
 ただ、ひとつ困るのは、多くのソフトでWindows仕様が優先され、Mac
で起こる不具合の解消が後回しにされることだ。もちろん、我らがMac
派は冷静に対処して、どうってことないという顔をし続けるのだが。
 よって、私のMacに標準搭載のブラウザでうまく表示されない現象が
確認できると、それは、今も未来も、まあ読めなくてもいいか、で済ま
せられることではなかったので、Mac専用のSafariを試し、ついでOpera
Firefoxをダウンロードしてみたが、それぞれに、なんらかの不具合が
発生することがわかったため、これらを同時に立ち上げ、華麗に使い分
けることにした。
 ただ、新たにダウンロードした二つのブラウザは、軽さは評価できる
ものの、文字が読みづらい。
 その点について相談してみたら、環境設定で書体の設定を変えればよ
い、と、聞く前にそのぐらい思いつけよな、と言われそうな初歩的解決
法を示唆された。
 教えてくれた彼は、職場に持ち込んでいるMacで実際にあれこれ書体
を変えてみせてくれたのだが、最後に、にやにや笑って「これはどう」
とやってみせたのが、ヒラギノ丸ゴPro。
 じゃあ、アンタもそれにする、と聞くと、「そうしようかな」と言う
ので、私は言った。「言葉は嘘をつく。行動は嘘をつかない」
「ははぁー。確かにそうです」。やっぱり、彼は、自分はそうする気は
なかったのである。
 相手を煙(けむ)に巻こうという意図がなくても、相手の心を傷つけ
たくないという理由などでも、人は本音と違ったことを言ったりする。
しかし、その人のすることを見ていれば、本当の気持ちは見えてくる。
 会いたいね、会おうよ、と言いつつ、日を決めないのは、その気がな
い証拠、とかね。
 残酷かもしれないけれど、言葉で翻弄されるより、わかりやすいのが
よい。
 そして、行動からでも読めないことは、“心の闇”なんて銘々してま
で知りたがらなくてよいのかも。自分でも自分の心がわからないことだ
って多いのだから。知るなら、まず自分自身の心である。