子供は賢い

 記憶にある限り初めての連れションをした。
 保育園で、私がトイレに入って戸を閉めたら、三歳の女の子に「英語
のせんせ、入ってるん」と聞かれ、外で待たせているうちに洩らされで
もしたら大変、と戸を開けたのだ。私が外で待つこともできたが、三畳
ほどもあるトイレで、お丸も二つあり、私は大人用を使うのだし、ま、
いいか、と大雑把になった次第。
 子供達と接していると、だんだん原始的になると言うか、ま、いいか、
と思うことが増えるような気がする。
 去年、初めてレッスンを受け持ったあとにお菓子とコーヒーを出され
たら、子供達が一斉に私を取り囲んだ。その目が食べたいと語っている。
しかも、「せんせ、はよ、食べや。食べへんだらアイスクリームみたい
に溶けるで」と、さかしらな交渉術を駆使する子が現われ、その知恵に
感心したこともあって、私は、ま、いいか、と、チョコレートを小さく
割って、一人一人の口に放り込んでいった。
 しかし、子供達はレッスン前におやつタイムがあるし、決まった時間
以外に食べるのは反則行為となるらしい。園長先生が、優しい声で、み
んなはさっき食べたでしょう、人のを食べては駄目ですよぉと諭した。
すると翌週、全員が、無理に我慢するというのではなく、自分に関係な
いから興味を持たないという態度に変身していた。
 ただ、私が観察するに、同じ優しい声でも、舐められてしまう先生は
いる。優しい声の裏の気持ちが子供の言いなりになびく人とそうでない
人を、子供達は敏感に見抜いているのだろうか。
 さて今回、レッスンのあとに二歳の女の子が近寄ってきて動かないの
で、食べないだろうと思いつつ、クッキーを一つ差し出すと、しっかと
手に握り締めた。でも、周りを見回し、口には入れない。気づいた園長
先生も、それを返しなさいとまでは言わず、様子を見ているうちに、母
親が迎えに来た。玄関まで見送りに行き、「それ、どうするの。外で食
べるの。外にはお兄ちゃんが待ってるんでしょ。一つしかないのに、ど
うするん。あ、外に出る前に食べるのかな」と話しかける園長先生の最
後の言葉に、女の子がにまっと笑って反応した。私は、そうか、こんな
風に、子供の胸の内を代弁するよう言葉にするのは、聞く能力はあって
も話す能力が未熟な子供達にはすこぶる有効なんだ、と学んだ。
 ところが、駄目と学んでも、懲りずにおやつを差し出してしまう私は、
そうやって彼らの躾度(しつけど)を試そうとする意地悪婆さんだなあ。