「金の力」と「人の心」

 夕食時間をかなりオーバーするのがわかっていたので、何か買って帰
ることにし、この時とばかりに高価な豆腐も買ったのに、おなかが空か
なくて、食べたのはメロンパン一つ。
 続いて、睡眠時間が十一時間に及んだ。もともとロングスリーパーで、
時に十二時間寝ることもあるのだが、理由もなくこれだけ長時間になっ
たのはどうしてなんだろう。
 しかも、これだけ寝たのに頭がしゃきっとしない。おかげで、夏バテ
なのかも、と閃いた。このところの雨また雨は、洪水やら土砂災害の被
害に遭っている人達には申し訳ないが、個人的には、ああ、うんざり、
と身勝手な不満を言うことを私自身に赦してくれ、むしろ、蒸し暑くな
いのはありがたいなあ、などとも思っていて、つまりは、本格的な真夏
はまだ先、と安心していたのだ。
 でも、もう心身はバテていたのね。
 地獄の沙汰(さた)も金次第、という諺があるが、テレビで、誰かが、
この世のことは九十九パーセント、金で解決できると言っていた。それ
がわからないのは金のない人だと。
 私は金持ちではないが直感的に同感で、ただ、金で片が付く比率につ
いては考え込んだ。九十九パーセントとは百パーセントと言っているよ
うなもの。この世のことはすべて金で解決が付くというのは正しいのか。
 そうなんだろうな、と思う。医者の見立てに不安を抱き、セカンドオ
ピニオンを求めて他を当たるというように、命に関わることですら、金
さえあれば、結構、自分の思い通りに事を運べるものなのである。
 金の力でもなんとかならないのは、人の心。
 好きな相手に振り向いてもらえない。職場に嫌な人がいる。私がよか
れと思って進言したのに、悪く取られた……。これらの対象は人である
が、厳密には、この世の現象。この世はなんたる不条理よ、と苛立つの
は、現象をそんな風に受け止めてしまう自分自身の心。なので、心の持
ちよう・物の見方を変えれば、困難が困難でなくなったりするのだが、
自分次第でどうにでもできるはずの自分の心を変えるのはなかなかむず
かしく、他人の心を自分の思い通りに動かせない方に意識が集中すると、
この世のことは金の力でもなんともならない、という理屈になるのでは
ないか。
 金でも解決できない場面が、心の領域。
 書く気力も失せていたけれど、なんとなく書き始めたら、少しエネル
ギーが戻ってきた、かな。