母のミシン

 母が、ミシンがとうとう動かなくなったというので、新品のミシンを
取り出してきた。ところが、電源コードがなくて使えないと言う。私は、
箱から出した時にどこかにやったんでしょ、と、しごくまっとうなる意
見を述べた。だって、誰が、人の物に触ったり、どこかに隠したりする
かね。が、母の言い分は、初めから入っていなかったのだ、とあまりに
大胆なもので、私は開いた口が塞がらない。だいたい、そういうことも
考慮に入れて、買ったら、とりあえずはちゃんと動くか点検すべきだと
言っているのに。九年も前の保証書で、今さら何をどうできると言うの。
しかも、他に考えようがないのに、絶対自分のミスじゃないと言い張る
信じられないその態度。それでも我が母親とあれば、対処は娘の私に委
ねられる。
 購入したデパートに相談することも考えたが、どうせメーカーに話が
いくとわかるので、直接メーカーに連絡した。すると、案の定、その型
はもう廃番になっているし、今は電源コードは本体に入れ込むリール式
になっていて、そういうコードのストックがない。でも、ミシンの販売
店が持っているかもしれないということで、販売店から連絡してくれる
ことになった。
 翌日電話があり、見当をつけた電源コードを持って家まで来てくれた
が、残念ながら、母のミシンに合わず、ということは、十万円以上もの
ミシンがさらのままパァになるのかと暗い気持ちになって聞くと、「ど
こかに合うのがあるでしょう。探して連絡します。どうしても見つから
なかったら、ミシンの取付け口を少しいじれば、不格好だけど、使える
ようにはなります」
 それから一週間以上経つが連絡はなく、そわそわし始めているところ
だが、やっぱりミシンはないと困る。母がミシンを取り出してくると、
ちょっとこういうのを縫ってよ、などとちゃっかり頼む私だからだ。
 幼い頃、ピアノの発表会のドレスなどは、全部、母親の手作りだった。
ただ、歳がいくにつれ、手作りのやぼったさが気になり、作ってほしが
らなくなったが、商売人の家の友達は、私の母親に何着もブラウスを作
ってもらって満足していた。生地選びやら仮縫いやらで、自分のことを
大切にかまってもらえる感覚が、愛情と感じられて、嬉しかったのだろ
う。
 いつか私も結婚したらね。だけど、今、花嫁道具にミシンを持って行
く人はどれぐらいいるのだろう。雑巾まで店で買うみたいよ、と嘆いた
友は、子を持つ主婦だが、家にミシンはなかったと思う。