時間

 蝉がかしましい。八月である。
 今月が終われば、今年も三分の二が過ぎたことになる。
 いったい、いつの間に……。
 しかし、おとなになると時の経つのが早いというのは、必ずしもそう
ではない、とも思う。
 先週新しいiMacが朝十時に届き、早速、インターネット状況を整えた
ら、標準装備のメールソフトがメールを受信している途中にダウンする
現象に見舞われた。一体、どうすりゃいいの。販売店の開店時刻まであ
と数十分。その待ち時間のじれったいほど長かったこと。
 同じ受信メールが大量にリロードされる状態であることを突き止めて
あったので、そう伝えると、パソコンを初期化してみるよう勧められた。
でも、解決しない。アップルケアに問い合わせると、新しいiMacにして
から新規メール受信で不具合が起こっていないのなら、原因は特定でき
ないけれど、このまましばらく様子をみてほしい、とのこと。
 ところが、私はマウスの代わりにMicrosoftトラックボールを使っ
ているのだが、五つのボタンをフル活用するには付属のCDロムのイン
ストールが必要で、ホームページを見ても、インテルMacに非対応とい
うコメントはなく、じゃあ大丈夫なのね、とインストールしたら、コメ
ント更新がなされていないだけかも、と危機意識が発動しなかった私が
いけなかったらしく、パソコンは立ち上がらないは、CDロムは吐き出
されないはの状況になった。数日後のことである。幸い、アップルケア
の受付時間が始まる九時まであと二分という時刻だったので、すぐにな
んとかなる安心はあったが、待たねばならない二分間は永久と思えるほ
ど長かった。
 なのに、担当者と話し始めると、十分単位で時間が経ち始める。
 初期化をしたり、周辺機器の接続状況を整えたり、バックアップデー
タを移し始めると、一時間単位となる。
“時”に振り回されている気になるのは、自分の気持ちがそうさせている
だけなのだが、そんな夜は、眠りにつく際、しみじみ、「一日が長かっ
たなあ」と思う。
“時”と言えば、写真のバックアップデータを移行したら、数年前にフラ
ンスの友人からメール添付で受け取っていた家族写真が立ち現われた。
 懐かしくなって、メールを送ると、「User unknown」で相手に届け
られないとメッセージが来た。
 とどまるものは何もないのである。