味覚B級

 店で、スイカの六分の一の切り売りを買おうと物色していたら、見知
らぬおばさんから「甘いかしらねえ」と声をかけられた。たぶん、高い
時より二百円も安い二百九十八円というセール価格に疑いを持ったので
はないか。
 でも、スイカとしての甘さの下限は保証されていると思うんだけど。
それに、塩を振るという昔ながらの美味しさアップ方法もある。
 私は、スが入ったのをもらった時も、スイカはスイカ、と食べたし、
カナリアのピィも綺麗に食べきった。丸一つもらったスイカを食べきれ
ない、と小分けにしたのをもらったら、たまたまス入りだったのだ。そ
の人のせいじゃないし、私のせいでもない。でも、食べなければスイカ
が可哀相、と思った。単に食い意地が張っているだけと言われるだろう
か。そして、傲慢にも「私はいらない」と宣言した母親の方が共感を得
るだろうか。
 このところ急に、食品添加物や外食産業の調理物について、実態を明
かすテレビや本が目につき出した。
 サラダについているゆで卵は、白身と黄身を分離して、かまぼこ状に
作られた加工食品だったからなのね。そういうからくりを知らなくても、
食べて、「なんか、美味しくないなあ」と思えていた我が味覚に「ほっ」。
 私が卵焼きと野菜のみの粗末なおかずになっても弁当を持っていくの
は、その方がまだ、インスタント食品や調理弁当より食欲がわくからな
のだが、たとえば、インスタントの豚骨スープ味は食品添加物だけで見
事にその味を作り出していると知ってからは、新発売の高級カップ麺や
カップスープに飛びつくたびに「なかなかいける」「これは本格的」と
舌鼓を打つ人達を信用しなくてもよいのだ、と自信が持てるようになっ
た。
 しかし、その程度の舌なのね、と軽蔑することはできない。私自身、
多かれ少なかれ、この手の化学の力に汚染されているからということも
あるし、人の味覚は騙されやすくできているからでもある。
 麦茶と牛乳を混ぜるとコーヒー牛乳だと感じるのは、混ぜてできる味
の成分だか何だったかが本物のコーヒー牛乳と近くなるせいであると、
科学的数値で説明できるそうな。
 そう聞いて、私は、食べ物がそのもの本来の形・感触・味をしていて
も、すべて化学的に作られた外見と味、となる近未来を想像してみた。
 その不気味さと比べれば、自然の手によるスイカのス入りなど、かわ
いいものではないか。