思いに「熱」を込める

 修理に出していたibookが、三週間ほどと聞いていた予定よりぐんと
早く、十日で私の手元に戻ってきた。さすが日本である。
 なんとなく予感のあった三年目に壊れたことを、思いと現実の一致の
ように感じて抵抗を試みたかった私だが、本当は、ことさらそこに意識
を向けなければ、さらりとやり過ごせることではあった。
 思いは、この世を渡るための通貨。
 それは正しい。
 思いこそが、未来を如何(いか)ようにも変えてくれるおおもとにな
るのだから。
 しかし、その思いとは、ふと心に閃いたり、ちらっと心をよぎった程
度の思いとはちがう。その程度の思いが現実になったとて、単なる偶然。
それ以上でも以下でもない。まあ、わかっていて、でも、ネガティブな
符号だったので、ちょっと気にしてしまった次第。
 さて、では、“思いが現実となった”と見なせるような思いとはどうい
うものかと言うと、熱く熱く、何があろうとそうならねばならぬ、と思
いが熱を帯びた場合である。
 希望・願望・目標を求める気持ちが天まで届き、大地をも揺るがすほ
どになった場合だ。
「怒髪(どはつ)天を衝(つ)く」というのは、怒りがすさまじすぎて
天に届くほどだという諺(ことわざ)だが、それと同じ発想で、幸せな
未来を熱を込めて思い続けられた時、初めて、その思いが未来を変える
力になり得る。
 ところが、怒りの諺はあっても、それと対(つい)を成す、よき自己
実現のための諺がないことからもわかるように、なぜか、私達は、ポジ
ティブなことよりネガティブなことを熱心に思いがち。
「あの人が成功したのはおかしい」など、他人に対する批難になる場合
も多いが、深層心理は他者と自分を区別しないので、「あの人が成功し
たのはおかしい」と熱く思えば思うほど、「自分が成功してはいけない」
と熱心に願っていることになり、そのとおりの現実を手にすることにな
る。
 だけど、腹が立つのは止められないし、「よかったね」なんて嘘でも
思えない。“感謝をテクニックする”時とちがい、口先だけの言葉は通用
せず、本気の思いが優先するので、どうしてもそう思えないなら、嫌な
相手や事象からスーッと視点をずらすことで対処するといい。自分の世
界から閉め出してしまえば、気にしようがなくなる。
 そして、自分自身が真に求める幸福なる目標に意識を集中する。
 私に足りないのは、熱を持って強く思うことだったなあ。
 いや、もちろん、パソコンのことではありませぬ。