言葉の数だけ思考が深まる

 私が変に自尊心の高い人間だからだろうか。
 その人が言っているのでなければ素直に聞けるものを、言っているの
がその人であるために、耳に幕が張り、心が受け付けなくなってしまう
ことがある。
 ところが、そういう人の言葉でも、文章で書かれていると、素直に読
めたりする。思いだけが抽出されるからだろうか。書き言葉の不思議で
あり、魔法だ。
 私は私の心に響いた言葉や文章をパソコンに保存してあるのだが、み
んな、あまりに素晴らしいことを言っているので、思わず、じゃあ私は、
と振り返って、いじけそうになる。
 しかし、彼らは、誰かを感動させたくて、わざと素晴らしいことを述
べているのではないかもしれない。心の中の思いを言葉にしたら、たま
たま、それに感動する私がいただけということは、大いにあり得る。
 大切なのは、思いを的確に表現できたと自分自身が納得できること。
 そうなるには、言葉をたくさん持っている必要がある。
 それと、ほんの少しの勇気。
 こんなことがあったよ、あんなことがあったよ。そこから一歩進めて、
その時自分がどう思ったかを伝えたら、「え、そんなことを考えている
人だったの」と仲間を遠ざけることになるかもしれない。
 そう感じてしまうのは、普段の生活では、そこまで深い思いを暴露す
る必要がないからだろう。
 けれども、恥を忍んで自分自身をさらけ出したつもりでも、案外、人
は、自分と同じ深刻さでは受け止めてくれないものなのだ。
 とすると、結局は、自分をよりよく見せたい自分自身との闘い、とい
うことになる。
 あの時そう思ったのは、なぜ。
 言葉を遣って、自分の心を見極める。すると、怒りの理由や悲しみの
理由がクリアになり、だったら、いつまでもその感情に留まっていない
で、こう考えてみましょ、と次の扉を開くことにもなる。
 思考することで、心が澄んでゆく。
 人にわかってもらうつもりが、まずは、自分で自分を理解することに
なる。
 自分のことは一番わからない、なんて言わせない自分になる。
 インターネットの口コミで「このUSBメモリで〜」と質問した人に、
「メーカーを問わずの板で“この”って言われても」と切り返した人がい
た。
 私は、思わずにんまり。
 文章は論理的に自己破綻していないことが大前提で、そうなっていな
いと、それをすかさず説教する人が現われ、でも、正論なので聞く耳
持てる。
 書き言葉は、やっぱり魔法だ。