個性尊重の罠

「子供の個性を尊重すべし」を表面的にとらえると、手本を真似させ
るのはもっともしてはいけないことのように思え、そうなると、何も
教えられなくなる。
 そういう親が大量発生したのは戦後すぐのことで、当時の子供達が、
今、子育て世代になっているそうだが、英語のレッスン中、私も、真
似をさせたら押しつけになるのではないか、と思い悩む状況に陥った。
 アルファベットを覚えた五歳児が、それらを組み合わせると単語が
書けると知ったら、さらにわくわくしてくれそうな気がして、絵カー
ドを作らせることにした。ただ、今の段階から読み書きを熱心に教え
たくないのが本音の私は、英語と直接関係ない絵もしっかり描かせる
ことにした。私なりの遠大なる企みである。
 私の絵を見て、子供達が「dog!」と言う。
 そうです、大正解! じゃあ、自分で犬を描いてごらん、と牛乳パ
ックで作ったカードを渡す。
 すると、私の英語がわからないからではなく、手が止まる子供が現
われた。「描けない」と言うのである。描きたいけれど、どう描いて
いいかわからない。
 私が保育園で見ている限り、みんな、好きに絵を描き、誰にも理解
不能でも、「これはりんご」と、一人悦に入るような子供達ばかり。
その年齢はみんなそうだと思っていたら、「僕はできない」ですって。
 私は困った。私が描き方を指導したのでは個性の芽を摘むことにな
るのではないかと思ったのだが、その思いの下には、私自身、本を借
りてきて、なんとかしのいでいるだけで、そんな私の絵を真似させて
よいのか、という屈託が潜んでいたのである。
 しかし、私が頼った本の著者も書いているとおり、物のカタチを丸
や三角、四角に単純化して描く方法だと、誰でも描けた気分になれる
し、続けているうちに、もっとほかの描き方に目覚めたりもするだろ
う。
 そのとっかかりを教えるだけでもたいしたものだ、と考え直すなら、
私にも教えられないわけはない。
 そこで、胸を張って、「はい、円を描いて…」と教えることにした。
 基本あっての応用。
 基礎の上に花咲くオリジナリティ。
 当たり前のことなのに、自信がないとなると、そんな当たり前のこ
ともわからなくなるのだったか。
 冷静さは、大切だ。