今の私でいいと言って

 個人的に英語を教えている小学生の姉妹は、いつも競い合うようにし
て、手紙をくれる。「きょうもえいごおしえてくれて、ありがとう」と
いうような文のまわりに、ハートマークがいっぱい。帰る時は家族全員
でバス停まで送ってくれるのだが、この二人に左右から片方ずつ手を取
られると、「目の見えない人か、足元のおぼつかない老人になった人み
たい」。
 言いながら、私は、ほくほく笑うんだけれど。
 だって、誰かと手を繋ぐのが呼吸するみたいに普通だった時代を、私
はもう遙か昔に置いてきた人間だから。
「ありがとう」や「大好き」という言葉も、私はもう、この子達ほど連
発しない。
 それが大人というなら、大人とは不自由なものだ。
 それに、もらいっぱなしのくせに、手紙をくれない日があると、さび
しく感じる。厚かましいなあ。
 漫画と文が半々の『子育てハッピーアドバイス』が売れていると知り、
子育てだけに留まらない気がして、図書館で予約したら、続編が先に手
に入った。
 人が生きていく上で一番大切なのは、自分は生きていていいんだと自
己を肯定する気持ちがしっかりできていることなのだが、これがボロボ
ロだと、その上にのっかってくるしつけも勉強も総崩れになるのだとか。
 自分の内なる自己評価が高いなら、叱られても素直に受け止められる
し、失敗を人のせいにすることもない。駄目出しされたのは、自分の中
の一部分なのだと理性的に判断できるからだ。ところが、自己評価が低
い人は、全否定されたと感じて、いきりたつ。要は、キレる。
 なんだか、大人の世界でもありそうな話ではないか。
 それに、大人だって、新しい事態に直面して、急に自己評価が脆(も
ろ)くなることはあり得る。
 じゃあ、そういう人にどう接すればよいかと言うと、「今のあなたで
いいのよ」と伝える。
「すごいじゃない」「ありがとう」と言う。
 すると、縮こまったり、頑なになったり、閉ざしていた心がときほぐ
れる。それが取引先の相手なら、自分の職場の誰もが成功しなかった大
口の契約を結んでくれることになったりもするだろう。
 なるほど、他人の自己評価を高めてあげればよいことはわかった。し
かし、まずそうしてもらいたい自分の心は誰がどう面倒見てくれるのか、
という問題は、これがなかなか難題なのだが、子供達からの「好き好き」
メッセージは、全くの部外者からの純粋なる言葉であるだけに、より強
力に心に効いてくれることを、私は近頃発見した。