よく望み、よく諦める

「貯金が増えなくても、今より減らなければいいわ」と優雅なことを言
っていられる職場の女性は、海外ブランドのアクセサリーで身をやつし
たりしているが、この度、結婚が決まった。
 前の彼は、両親の気に入らないとわかっていたので、紹介せぬまま別
れ、次に年下の学生と知り合うと、「私ももう三十を過ぎているから、
遊びだったら付き合う気はない」と初めにビシッと言い渡し、承諾した
相手が、今年の春、就職したので、結婚することになったそうな。
 同僚によると、「彼女がああいう相手を選ぶとは意外だった」。つま
りは、茫洋とした風貌で、完全に彼女の引き立て役と化す人物だという。
 恋愛と結婚は別、と心得ていて、「今からもう、運命共同体の気分よ」
と言う彼女らしい選択ではないか。
 共働きは嫌だと言う彼女に、私は一つだけ質問した。
「彼は有望株?」
 すると、「一応そのはず」と、彼女はにんまり。
 金持ちの娘の割には堅実と言うか、地に足付いた計算高さが安心でき
るが、彼女がそうなれたのは親のおかげだろうと私は見た。
 彼女の母親は「子供を持つのは、諦めることだ」と喝破したらしい。
 子が生まれれば、あれもこれもと光り輝く未来を夢見る。ところが、
子は、そんな親の期待を気持ちよく裏切りつつ成長する。これでは“と
んびが鷹を産む”どころか“蛙の子は蛙”も危ういかも。
 大抵の親が実感することだと思われるが、そうか、これが現実なんだ、
とすがすがしく納得したところが、彼女の母親はえらい。
 もっとも、本当は、誰しも、期待してよいのは、唯一、自分自身に対
してだけなのだが。
 その場合も、諦めることが重要なポイントになる。
 強く望み、でも、どんなに頑張っても道が切り拓かれないなら諦める
用意はある、とゆとりのあるところも見せる。見せる相手は、便宜上
「天」という言葉を遣うが、自分の運勢を司っている何物かに向かって
だ。
 胸の奥の燃えたぎる思いを押し隠し、駄目ならいいのよ、と気のなさ
そうな素振りで相手をその気にさせようとするなんて、恋の駆け引きの
ようだが、そのとおり。
 なぜって、願望も、自分の思い通りにしたい我欲に他ならないからだ。
 しかし、この世は思い通りになるとは限らない。
 そのリスクもしっかと許容する時、人は、夢が叶っても、叶わなくて
も、同じ平和な境地で人生に立ち向かってゆけるだろう。
 そのために、“諦念”の思いをちょっぴり紛れ込ませておくのだ。