あの世が見える人達

 霊的なものや輪廻転生を信じるか否かは、その人次第。論証のしよう
がないからだ。
 私は、あると考えた方が気が収まる時にはそう考えるが、普段は「な
んで人に生まれ変わるのは人だけなのサ」とか「だったら、今生きてい
る人の大半は輪廻の第一期生」などと、あれこれ考えている。
 先日、テレビで、私が抱いていたと同じ疑問をぶつけられた霊の研究
家が「魂は分裂することもあると言われています」と胸を張ったので、
「え。じゃあ、人生は魂を磨くためにあるという大前提はどうなるの〜」
と不安に駆られた声で攻め寄りたくなった。その場にいた人達はあっさ
り納得していたようだが。
 初めて江原啓之の本を図書館で借りてきた。これまではもっぱら本屋
の立ち読みとテレビ番組一辺倒だったのに、タイトルに惹かれたのだ。
読み終わってから、アマゾンのホームページで、この本について寄せら
れた感想を見てみたら、私同様、違和感を感じた人もいたようで、ほっ。
 有名人の本は、大抵、ゴーストライターが書いている。特に、書くの
が商売でない有名人が何冊も出版しているとなったら、これはもう、そ
う考えるのがまっとうだろう。
 文体に際立つ個性がないから、書き手が変わっても、悟られない。
 ところが、この本はなんとなく違う印象だった。内容もそう。
 あの世はテレパシーの世界で言葉は不要、という初っぱなのところで、
私は「え、そうなの」と寂しくなったが、目が悪いのは現実も人の心も
物事の裏側も見ようとしない表われという説明は、ド近眼だが不貞不貞
(ふてぶて)しい性格が幸いして、笑い飛ばしてしまえた。しかし、体
のここが悪いのはこういう思い癖の人、という図入り解説はいささか断
定的に思えたし、死後、人は魂のレベルに応じた階層の世界にしか行け
ないという話になると、なんだ、結局、よくある新興宗教、と頭が混乱。
そして、素人のブログは自分好きが酔いしれているだけ、という箇所に
来て、ようやく、心に何か満たされないものを隠し持ったゴーストライ
ターの暴走を想像したのであった。
 でも、誰が執筆したにせよ、著者の名前を冠した書物だから、内容は
著者も承諾済みのはずだしなあ・・・。
 それにしても、人の魂にレベルの高低があると論じ、共にレベルの低
い人を啓蒙して社会をよくしましょう、と人集めするのにはぶち切れる、
と書く小冊子の主も、実は新興宗教の変種だったりするので、この世は
なかなか油断がならない。