権威の問題。それとも人徳?

 老父母の面倒を見るかどうかは遺産の有無が大きく左右する、という
アンケート結果の解説に「世知辛い」とあった。私は、久しぶりに目に
するこの日本語に「おおっ!」。
 言葉には“理解言語”と“使用言語”がある。聞いて理解できる言葉より
使う言葉の方が少ないから、 “理解言語”が“使用言語”を上回ることに
なるのだが、ふだん聞かなくなった言葉を見聞きすると、妙に感激して
しまう。
 いつも使っている場合でも、改めて文字で読んだり聞いたりして、そ
の字面、その語源に笑えてくることもある。
 夏休みが終わる直前、テレビで、「子供達は、今頃、宿題でヒーヒー
言っているのでは」と司会者が言うのを聞いた時がそうだった。実際に
「ヒーヒー」と子供達が言っている様を想像したら、笑いが止まらなく
なってしまったのだ。
 何気なく使っている言葉にちょっと違う光を当てると、遊べる。遊ん
でいるつもりが、言葉を解体しすぎて、まともな世界に戻れなくなりそ
うな不安に襲われることもある。漢字をじっと見つめているうちに、そ
の漢字自体が奇異に見えてくるようなものだ。なので、注意は必要なの
だが。
 英語の家庭教師をしている中学生に辞書を買うよう言っている。まず
は英和。できれば和英辞典も。それから、私の担当外になるのだけれど、
本格的な日本語の大辞典も一冊買ってほしい。
 知らないことは、聞いてすぐ正確に答えてくれる人が周りにいるなら
いいが、そうとは限らないからだと理由を説明したら、そばにいた母親
は別段ムッとするでもなく頷いてくれ、無用な展開とならなかったのは
ありがたい。
 辞書は、視界の中にほしい以上の情報がちらつくので、好奇心があれ
ば、思った以上の知識が手に入るところが秀逸。そこが、必要最低限の
和訳しか載っていない教科書と違う。同じ理由と簡便さから、パソコン
の辞書は初心者にはお勧めしない。
 ところが、本屋で、習った単語のいくつかを辞書で引き、読み比べて
自分に合うのを選べばよいとまで教えたのに、重い腰を上げてくれない。
 待てなくて、私が中学時代から使っているのを貸し出した。
 すると、そのタイミングで、『七歳から「辞書」を引いて頭をきたえ
る』という本の広告を見た。それと『「本を読む子」は必ず伸びる!』。
 母親も同じ広告を見て、私の言葉を思い出したそうな。
 私は悲しくほほえんだ。
 私が言っただけでは信用されなかったと言うことだから。