子供は見ている

 友達の息子はまだ二歳。なのに、鉛筆を口に加え、おもちゃの電話に
向かって、「すみません、すみません」と言いつつ、へこへこ頭を下げ
る様子は、面識なくても、父親を髣髴とさせるおっさん風情。DNAは、
単なる真似にとどまらない類似をもたらすのだろうか。
 他人は感心するだけで済むが、真似された方は怒るに怒れず、もし目
撃することになったら嫌だろうなあ、と思っていたら、英語を教えてい
る小学生が、レッスン後に家族と雑談している最中、「どう思う」と口
を挟んできた。
 私は言葉を失った。
 それって、私の口癖じゃん。
 これまで誰からも指摘されたことはなくても、独特の口調を耳にした
途端、私は気づいてしまった。
 ああ、恥ずかし。というほどのことはないはずなのに、なぜか、そう
感じる。
 思わず対抗して、彼女の “なくて七癖” をあばいてやろうとしたのだ
が----かなり大人げない心の動きではある----、見つからない。一流ス
ポーツ選手に不可欠の動体視力は夢のまた夢という自覚はあったが、ご
く普通の観察眼までなかったのね。
 ショックを受けた様子の私を見て、その子の母親が、実はきょうだい
達がほかにも私の口真似をしていると暴露した。
 英語の相槌のuh-huhと、英語風に名を呼ぶ発音だ。
 妹の方が描いてくれる私の似顔絵は、髪の毛がくるくる渦巻いて、顔
には眼鏡。その二つの特徴さえおさえたら私か、と妙に納得してしまう
が、ここんちの子も保育園の子も、興味深げに私のぽあぽあの髪の毛を
触りに来る。ま、いいけどさ、ひと言断りはないのかい、と思ったりは
する。
 子供と接していると、叱るか否かの判断に瞬発力が求められると思う
今日この頃だ。子供達が楽しくて興奮しすぎて、はしゃぐ限度を越える
と、ドスの利いた声でその場を制し、日頃の仲良しこよしが通じないと
思い知らせるのだが。身についた人間としての良い悪いの指針を発動す
ればいいだけと考えれば、迷うことはない。
 ところが、いつもそうできるとは限らない。小学生の男の子が母親に
連れられてきて、玄関先で、飴が口から飛び出て、拾ったら、母親が
「汚いから食べちゃ駄目」と言い、それを受け取ると、玄関の外の茂み
の中にポイと捨てた。まさか、母親がそんな行為に出ると思わなかった
私は絶句。しかし、その場で意義を唱えないなら、私もその行為が正し
いと承認したことになってしまう。
 その子の今後を思って、悔やんでいる。