真理を見極めたあと

「真理がわれらを自由にする」という言葉が国立国会図書館の壁に刻ま
れているらしいが、この言葉を知ると、拡大解釈して、私はちょっとほ
っとした。
 私には、良いことだけでなく弱点まで含めて自分自身を見極めたい思
いが強いが、それと言うのも、真実を知らなければ、未来に向かって何
をどうすることもできないと思うからであり、また、善だけでできた人
間などいないと思っているからでもある。
 ところが、その対象を自分自身にとどめておけなくなることがある。
建前を本音と信じている雰囲気を感じると、つい挑発的になり、「子供
はみな等しく可愛い」と真顔で言う母に「そんなはずがない」と言って
しまったりするのだ。
 一人娘を持つ友達には、火事でも船が沈没するのでもなんでもいいの
だが、一人しか助けられないとしたら、助けたいのは娘か旦那か、と詰
め寄って、困らせた。
 だが、この手の質問は、結構、妻が夫に向かってしているものらしい。
そう言われたら、夫は、前提条件を無視して「どちらも絶対に助ける」
と言い切るべきなのだとか。一方、夫が姑の肩を持つと不満な妻から
「お義母さんと私とどっちが大切なの」と聞かれたら、妻の手に手を重
ねて「決まってるだろ」と答えることで、勝手に自分だと思い込ませる。
妻は夫の心を試そうとしているだけなので、それでいいんですって。  
 また、愚痴や不満を聞くと、男性的思考が強い人は、ついまっとうな
る解決法を伝授しようという姿勢になるけれど、話し手は自分の言葉を
繰り返してもらえれば、気持ちをわかってもらえた気になり、それで満
足できるのだとか。
 これについては、知人から、息子に、彼が言う言葉をただ繰り返して
くれるだけでいいと言われ、そうするようにしたら、関係がうまくいく
ようになったと聞いていたので、事実が心理学によって裏付けられたこ
とに驚いたが、自分自身の気持ちを読み解き、ほしい対処法を母親に進
言できた息子の自己分析能力にも感心したものである。
 心理学が人間関係を円滑にしてくれるとしたら、もっと知りたいと思
うものの、自分の性格を顧みると、知りすぎた不幸は起きないか、と心
配になってくる。
 あ、今、この人、私に心理学的対処法で対峙してきているな、と気づ
いたら、それでも素直にその手に乗れるだろうか、というのがそれだ。
 たぶん、乗れるんだろうな。
「子供はみな等しく可愛い」とむきになって言い張る親に救われたい時
もあるのだから。