優しいデザイン

“人に優しいデザイン”という、わかったようなわからないようなスロ
ーガンがはやったことがあるが、それを“なるべく多くの人が困らずに
使えて、なおかつ見たり触ったりする時ワクワクできるデザイン”と解
読するなら、どの分野でもデザイナーという人種はまだまだ見てくれ優
先なのかなあ、と溜め息することが起こった。
 いやなに、我が家の台所の蛍光灯が切れたのだ。
 両手を伸ばすよりも長い蛍光灯二本を買い換えればよいだけのこと。
だが、蛍光灯に辿り着く前に天井と同じ平面上にはめ込まれた照明カバ
ーを開ける難関が待ち受けている。初めての時、管理人さんが開けてく
れるのを見ていたのに、記憶に残っているのは、面倒だな、と思ったの
と、こういうややこしいものは取扱い説明書があってしかるべきなんじ
ゃないの、と思ったことだけだ。
 もしかして、見て、閃くのが当たり前と想定されているだろうか。だ
としたら、あらゆる層の入居者がいるのに、あまりに買い被りすぎてい
ることになるであろう。
 田舎の一人暮らしの老人が、玄関のむき出しの電球が切れても、脚立
にのぼって転げ落ちたりしたらその方が大変なので放ってあり、都会か
ら移住してきた人が何かのついでに換えてあげるととてもありがたがら
れると聞いて、歳を取るとそうだろうなあと想像されていたが、歳を取
らなくても扱いに困る、でも、すこぶるしゃれたデザイン物って、かな
り厄介な代物ではなかろうか。
 来てくれた管理人さんから「風呂場の小さい電球は切れていませんか。
玄関のシューズボックス下の蛍光灯は。よく、切れているのに気づかな
いままの方が多いみたいですよ」と言われ、確認したら、まさにそのと
おり。しかも、これらの照明カバーも、下手に開けようとしたら割りそ
うなので、開けてもらう。そして、切れていても気づかなかったり支障
がなかったわけなので、今後の心の平安のために電球は取りはずしたま
まにすることにした。
 デザイナーは嘆くだろうか。
 でも、裸電球で用が足りるのを、それじゃあ味気ないからと進化を目
指す際、裸電球の簡便さまで捨て去ることはあるまい。
 本当に気に入ったマンションならば買う意欲のある独身女性を対象に
聞き取り調査をしたら、なるほどという意見要望がわんさか出てきたと
か。
 そうして作られるマンションは、きっと、嬉しい工夫いっぱいなんだ
ろうな。