おばさんパワー

 川を流れてきたリュックや回収したゴミの中に何百万円という大金が
入っていたという報道をたまに見聞きするが、絶対と言っていいほど、
落とし主が現われず幕引きとなるのを不思議に思っていたら、税務署対
策等で、名乗り出るぐらいなら、それほどの大金でも手放した方が助か
る人達がいると知り、そういう類いのお金なのだ、とようやく理解でき
た。世の中は、まだまだ自分の世界観だけでは太刀打ちできない未知数
に満ちている。
 でも、どうして、発見した人は律儀に警察に届けるのか、という話に
なった。
 自分達なら黙って自分の物にしてしまう、ということである。落とし
主は現われないと決めつけ、勝手にいきなり時効に持ち込むのが良識あ
る大人のすることかどうかは不問に付すが。
 しかし、所詮は空想の話だ。なのに、「百万円ぐらいだったらもらっ
ておくけど、それ以上は怖い」と言い出した者がいて、「百万でも八百
万でもおんなじ」と一斉に突っ込まれた。
 ビールをひと口でも飲めば飲酒運転になるのと道理は同じなのだが、
これにより、くだんの彼女にとって百万円が良心と欲望がせめぎ合う限
界点だと判明したのであった。もっとも、訓練次第で、未来は変わり得
る。
 この正月に、近くの店が先着三百名に記念品を渡すというので、連日、
母と私は開店前から並んだ。
 正月早々で、それが目当てでもなければ、客の出足は遅い。母が、店
に入ってから、また並び直せばもう一つもらえる、と言い出した。
「じゃあ、そうすれば」。
 すると、母は、それで誰をどうあざむけると考えたのか、エスカレー
ターで違う階に行ってから、戻ってきて、外に出て並んだ。母の限界で
ある。
 ところが、同じことを考えた人達はみな、三メートルほど先の別の出
入り口に堂々と直行していて、そう伝えたら、二日目は母もそうした。
 私が母に同調しなかったのは、記念品を手渡す店員に二度並びしてい
ると気づかれるのが嫌だったからだ。臆病と欲望を天秤に掛けたら、臆
病に屈したわけである。
 けれども、三日目は、その日のは絶対ほしいし、余分にあれば友達に
あげられると言う母の気持ちを尊重して、二度どころか三度並びを決行。
 入り口で、警備員さんに「一人一つにしてください」と連呼されても、
私達は大丈夫。家を出る時、ふと勘が働き、紙袋を持参していて、母と
交代で並べば、手ぶらに見せかけられたのだ。
 私は、内なる限界を超越したのだろうか。