シャンプー、一分

 髪の毛を切った。
 ロングヘアを目指しているはずが、ヘアサロンに行くたび、ロングヘ
アからセミロング、さらにはショートへと、目標から遠ざかる一方の髪
型を希望して、ついにはベリー・ショートになった。
 家庭教師先の子供達が「『花より団子』の司だぁ〜!」と騒いで、漫
画を見せてくれる。「私は男か!」と憤慨したりしないのは、道明寺司
が美形だからではなく、主人公が皆、似たり寄ったりの顔で、個性的な
髪型こそが人物判別の重要な鍵となるため、たまたま天然パーマを付与
されたのが司なのだ、とわかるからだ。
 それにしても、やっぱり、君達は若いんだねえ。これまで、私は、言
われるとしたら「ベティちゃん」だったのだよ。
 ロングヘアが女らしさの証し、にならないことは、私が一番知ってい
る。なんせ、ショートにするほど「その方がいい」と言われてきたのだ
から。
 なのに、切って褒められると、「そうかあ。ロングじゃ駄目なのね・
・・」と拗ねたくなるから、女心は、ああ、難しい。
 だけど、なんで私は毎回同じ反応なんだ、と気になって、考えてみた
ら、答えはすぐに見つかった。
 ロングヘアは女らしさの証しではないかもしれないけれど、若さの証
しではあったのだ。
 歳を取って巻き髪の女性って、たぶん、気持ち悪い。
 でも、そういう人はいない気がする。もうロングは似合わない、と、
どこかの時点で気づくようできているのではないか。
 男の人も同じこと。
 横峰パパが、増毛ヘアで可愛いくも見えるけど、もういいんじゃない
の、と言いたくなるのは、無理に色気を引きずっている感じがちょっと
いたましく見えてしまうからなのだろう。
 若いからこその、ふさふさヘア、ロングヘア。
「今だけの特権だよ」と囁く声に駆り立てられて、髪型命の日々。
 私が、ショートが似合うと言われて素直に喜べないのは、今からおば
さん頭が似合うってか、と憤慨したくなってしまうからに違いない。
 ところが、今回、ショートに行き着いたのが、実は、髪を洗う時間や
労力が嫌になってのことだとしたら、これまでのささやかな抵抗の気持
ちもどこへやら、一気に女性の末期症状ではあるまいか。
 そういう自分に煩悶(はんもん)するものの、ショートが似合う本質
が、ショートにした理由とは無関係に人々から褒め言葉を引き出してく
れるので、さらにまごつく私。
 ぬけぬけと「ラッキー」と居直っていればいいのかなあ。