次の世代に継承せよ

 チューリップの季節が終わっても、子供達の口の中はチューリップ畑。
 生まれたての永久歯は、一つ一つの歯の先に三つの小さなぽっちりが
あり、三枚の花びらで描かれる、あのチューリップの花のごとし。
 家庭教師先の子供達の歯を見るたび、漠たる違和感を感じていた私は、
この発見に感動して、「もっと見せて」と、馬か犬の唇を開くみたいな
真似までする。
 さすがに中学生には自発的に口を大きく開いてもらうにとどめたが、
おかげで、小学四年生にはまだ残っているチューリップの片鱗も、中学
生になると完全に消えることがわかった。その速度で歯がすり減ってい
るのかと思うと、ちょっと動揺。
 ところで、こういう発見が遅れても、私は未婚だしね、と納得しかけ
たら、この子達の母親は、子供が三人もいるのに、私に言われるまで気
づかなかったそうな。
 なれば、前言撤回で、近すぎると見過ごす、と言い直すべきか。
 実際、小学生の二人にアルファベットを書かせると、鉛筆の持ち方も、
持つ角度も、変。
 正確には鉛筆ではなくてボールペンなので、持つ角度に関しては、以
前、理由を突き止めた、その手の筆記具に要求されての必然だと見抜け
たが、長き一生の基礎になると思うと、放っておけない。
 持っていたパイロットのVペンを使わせてみた。万年筆型のペン先な
ので、上の面が正しく上に来るよう持たないと、インクが出ないのだ。
 シャーペンじゃなくて鉛筆を使うのよ、と言いおいて、次の週に行っ
たら、おかあさんが何店か回ってようやく見つけてくれたと、子供達が
得々として出してきた。
「でも、寝かせても、ちゃんと書けるよ。ほら」
「じゃあ、使う意味はないわね。私がもらおうっと」
「だめー!」
 小学四年生は、箸の持ち方もおかしいと告白したので、レッスンのあ
と、箸を持ってこさせ、正しい持ち方を教えた。
 が、これが、
「でも、この方が持ちやすい。これでも豆をつかめるよ」
 と、自己流を最良だと主張する際、誰もが口にする屁理屈を言うこと
は忘れないのである。
 私は、ふんふんと聞き流し、練習させて、
「できるじゃない!」
 それにしても、こういう私は、なぜなんだろう。
 私自身を、歴史の流れの中の一つの駒だと見ているからかも。
 上から下の世代へと流れる中間地点に位置する駒として、伝えるべき
ことは、伝える。
 もちろん、自分が責められたとゆがんで解釈しない親の「子限定」と
いう条件付きではある。