「空気を読め」という暴力

 十一日に行なわれたボクシングの世界フライ級タイトルマッチで亀田
大毅選手が反則負けた一件に関し、一家を代表して謝罪会見に臨んだ長
男の興毅選手。
 事が事だけに、つるし上げに近い取材となるだろうことは予想できて
いた。
 でも、彼が真摯に答えようとする態度からは、それまでの不貞不貞し
さは消え去っていて、もう成人した二十一歳ではあるけれど、なんだ、
まだ子供じゃない、根はいい子じゃない、と胸を突かれるようなあどけ
なさが浮き彫りになって、途中から、そんな彼がよく謙虚な態度を貫き
通せているなあ、と感心させられた。
 だって、あのカメラの数。ここぞという場面が来ると眩しい閃光が彼
の顔に降り注ぎ、あれほどの光を浴びたら、どんな強靱な精神でもおか
しくなって当然ではないか。
 しかも、記者は、是が非でもこの言葉を彼の口から言わせたいという
下心が剥き出しの、威圧的、かつ、直截に斬り込む口調で、相手がつい
言う気のないことまでぽろりと口にするよう仕向ける高等技術は皆無。
反亀田家に傾いていたはずの私ですら、不快になった。
 まさか、動かぬ証拠の映像と音声がある時だけ、正義感を振りかざす
わけじゃあないですよね。
 朝青龍の会見の時もよろしくね。
 で、気づくのだが、記者は、どうして名前を明かさなくてもいいのだ
ろう。
 無名性の中に身を潜めれば、誰だって過激になれる。
 子供達のあいだに広まるインターネットや携帯メールの陰湿ないじめ
問題、などと言うけれど、それとどれほどの違いがあるだろう。世論と
いう大義名分を背負えば赦されると言うなら、子供達は言うだろう、同
じ考えの仲間がこんなにたくさんいるのだから、無記名で攻撃しても、
自分達は正しい、と。
 これと同質の危険性を、私は、近頃、「空気を読めない奴」という言
葉に感じている。
 今この場にいる大多数の意見や感じ方はこうだから、そこから逸脱す
る言動をしてはならないと無言で圧力をかけ、その圧力を察知して、さ
りげなく軌道修正できる人を評価する。
 でも、それだと、その時の大多数に迎合して、その場その場で自分の
意見を変えることになり、それほど信用がおけない人間もないと思うの
だが。
 興毅選手は針のむしろの中にあって、父親について聞かれると、「み
んなには悪いように見られているかもしれないけど、世界一のオヤジや
と思ってる」と答えた。
 敢えて空気を読まなかった彼が、私には、とてつもなく素晴らしい奴
に見えた。