過去は変えられる? 変えられない?

 去年の十二月は二十三日が土曜日。
 その日に、友が「もし、人生をやり直せるなら」としみじみ言った。
「いつに戻りたい」と聞くと、中学生の頃と言う。しっかり将来を見据
えて、勉強もして、もっと実りある未来を手にしたかったとか。
 今からでも遅くないよ、と私は言ったが、彼女がまず目指したいのは、
三十前に子供を産むこと。今からでは二人は無理なので、せめて一人は。
「じゃあ、早く結婚しちゃえば」
「誰と?」
 付き合っている人は単なる友達。結婚の話も出ていなし、と。
 ところが、夕方、電話がかかってきて、翌日のクリスマス・イブに会
ったら、結婚を前提とした付き合いを申し込まれたとか。
 そして、今年のクリスマスは、自分達二人の家で迎えることになる。
「今でも人生をやり直したい?」
「そう言えば、そんなこと、言ってたっけ」
 自分の言葉に責任を持たないことにかけては、なんとまあ天才的であ
ることよ。
「過去は変えられない。未来は変えられる」
 私はこの言葉が好きだった。真実だと思うから。
 が、先日、これとは正反対の「過去は変えられる。未来は変えられな
い」という言葉に出会うと、これにも目から鱗
 過去に起きた事象そのものは変えられないが、それをどう受け止める
かは自分次第で、その時には不幸だとしか思えなくても、時が経ち、あ
のおかげで今の自分があると思えるようになるとしたら、確かに「過去
は変えられる」。
 それに、そんな風に過去が変えられるのであれば、そうと気づくため
にわざわざ未来を待つまでもなく、今、困難だと感じているさなかに、
いずれこの困難に感謝できる日が来ると信じればいいわけで、それがで
きる人が運の強い幸せな人、と言われたら、なるほどと思う。
 でも、だから「過去は変えられない」は間違い、ということにもなら
ない。
「過去と他人は変えられない」が正式なのだが、要は、今、不幸だと感
じているとして、それを過去や他人のせいにばかりしていたら、いつま
でも、今の嫌な状態のままだよ。だけど、もし、確実に変えられる自分
自身の考え方や行動を変える勇気が出れば、その瞬間、明るい未来への
扉が開くよ、というメッセージに、やはり、嘘はないのである。
 自分の居場所によって、どちらかが正解になる。
 でも、両方知っていると、両側に補助輪をつけた自転車みたいに安全
が広がるので、今年の私のラッキーは、この二つ目を知れたことだろう
か。