健康、一番

 母は、新年早々、左肩の骨にひびが入って、超音波治療を受けている。
来週からリハビリという段階まで漕ぎ着けたが、こうなったのは、私が
去年の年末に家中の大掃除を敢行し、最後の仕上げに、これでもか、と
いうほどフローリングにワックス掛けしたからだとしたら、うぇーん、
綺麗好きは罪ってことなの、神さま。
 リビングの絨毯はインド綿。洗濯機でこまめに洗えるのが気に入って
いたのだが、ワックスの上だと摩擦係数が減って、よく滑るようになる
とは知らなかった。
 ために、予想外に絨毯が動いて、母は足をすくわれ、咄嗟に左手を前
に伸ばしたスライディング体勢でこけた。
 骨にひびが入っただけで済んでよかったものの、その日から、左手は
だらんと垂れたまま。辛うじて指先だけが動く状態となり、一人では、
パンツをウエストまでしっかり上げきることすらできない。
「手が不自由な人って、どう生活してるのかしら」
 母は素朴な疑問を口にしただけだろうが、聞き捨てならない。
 自分が経験しないとわからない、と言っているようなものだからだ。
 しかし、経験しなくても想像できてこそ、人間ではないか。
 もっと想像力を磨いてよねえ。
 そんな思いを込めて、「アフリカのどこかの国では、敵の兵士に両手
を手首から切り落とされた人達がたくさんいるんだって」と言ったら、
「それは、そういう国に生まれた不幸」と母。
 ところが、東京で、十五歳の男の子が父親から両手を切断された無理
心中らしき事件が起こったものだから、私は絶句。
 アフリカの一件をテレビで知った時、ぱっと見は健常者でも、一生涯、
限りなく自立から遠い立場を強いられることになった人達の心の内を想
像して、単に銃で殺すのでは飽き足らないとした敵兵達の精神構造にお
ぞましさを感じた。「内紛だから、戦争だから」で片付けられるもので
はない。
 ましてや、たかが事業不振の自暴自棄で、我が子にそこまでの悪意は
あるまい。
 それが、あり得てしまった。
 男の子には、是非とも快復して、いじけず、腐らず、頭(こうべ)を
上げて生きていってほしいと願う。
 口先だけで白々しいなあ、と私自身、思ってしまうけど。
 そんな私は、タフにパソコンのマウスを使っても指が疲れないよう、
親指を一番よく使う構造のトラックボールを使っていたのに、指がつっ
たようになって違和感が消えず、青ざめている。
 私だけには、いち大事。
 明日からのパソコン生活や、如何に。