普通が一番

 飲んだり食べたりして、会計の時が来る。
 私が取りまとめ役になったら、友達と二人きりの時でも、一円単位ま
で計算する。
 一円も損したくない、わけではなく、私の暗算能力だと、私が多めに
払うように気を利かしたつもりが、相手に多く支払わせることになりか
ねないため、電卓の正確さだけを信奉するようにしているからだ。
 まあ、大抵は誰かが計算してくれるし、個人的な事柄の場合は、電卓
かエクセルで、やっぱり一円単位まで正確を期する態度にて、不要な混
乱を事前回避する。
 それでも虚を突かれる事態は起こるもので、先月、小学一年の男の子
阪神淡路大震災の状況を話してくれた時は情けなかったなあ。
 身振り手振りがあまりに真に迫っているので、
「え、住んでた家が壊れたの」
 とびっくりしたら、
「え・・・」
 その子にびっくりされて、あ、十三年前に六歳児が生まれているはず
ないか、と気づいた次第。
 ところが、世の中には、数字が頭の中で美しい風景や図形を描いて数
字の理解を手助けしてもらえる人がいるらしい。
『ぼくには数字が風景に見える』の著者ダニエル・タメットだ。彼は、
五時間九分かけて円周率の小数点以下二二五一四桁まで完璧に暗唱した
記録の持ち主なのだが、百年後の今日の曜日を瞬時に言えるし、チェス
もゲームも凄腕だし、文字にはそれぞれ独自の色がついて見え、難しい
外国語も一週間でマスターできると聞けば、私もそんな頭がほしいもの
だ。
 もっとも、ほしいのは、著者がサヴァン症候群かつアスペルガー症候
群であるがゆえに有する特殊な能力全部ではなく、人とまともに会話が
成立しないとか行動が偏執狂的になるような個性はほしくないから、そ
んな得手勝手な望みが実現するはずはないのである。
 努力で開発できる能力と、それはできない能力と。
 手品やマジックは特に好きでも嫌いでもなかったけれど、種明かしし
てもらっても、私達の目では次もやっぱり騙されるトリックが、マサイ
族には普通に可視でき、マジック自体が成立しないと知った途端、完全
に興味が失せた。
 目の錯覚というレベルではない。遙か地平線まで草原の地で生きてい
ない私達の、退化した目が弄ばれているだけになるからだ。
 しかし、マジックは、ひたすら驚き楽しむことだってできる。
 なぜ、それだと私は嫌なんだろう。
 数字が風景に見えなくても、大食いできなくても、オーラが見えなく
ても平気なのに。