子供は0.5人?

 部下の不始末を、上司が謝罪させられる。
 青山学院大学・準教授の瀬尾佳美氏が、彼女ならではの観点から子供
は0.5人とカウントし、光市母子殺人事件の死者を1.5人とブログに書い
たら、炎上して、大学長がお詫びを発表する事態になった。
 キリスト教信仰にもとづく精神で学生の教育に当たっているとしても、
信仰で教員を選ぶわけではないだろうから、大学にとって青天の霹靂だ
し腹立たしいことだったろうなあ、と同情したくなったが、瀬尾氏が所
属する国際コミュニケーション学科は「言語とコミュニケーション能力、
異文化を理解する能力を併せ持ち、様々な文化圏の間の架け橋となる国
際コミュニケーターを育成」するのが大学の教育方針だと知ると、そう
いう教育を行なう人材としてはどうなの、と大学側にもう少し突っ込ん
だ見解を聞きたくなった。
 瀬尾氏自身は、これは実は裏ブログだ、とブログの中で公言してしま
っていて、それにはそれで首を捻らされた。だって、表のホームページ
からリンクできる裏ブログって、あり?
「裏」と言われたら、「表」を発想する。
 でも、私にはわからない。表と裏って、竹を割ったように使い分けら
れるものなの。
 裏は「本音」とは違うわけよね。
 誹謗中傷とか、人の足を引っ張る発言とか、人が隠し持つ暗い一面を
大っぴらにするってことかしら。
 私は、それを文章にして発表してはいけない、とは思わない。
 崇高な理念であれ、後ろ暗い感情であれ、もしかして存在するかもし
れない反対意見の人にも「一理あるかも」と考えさせるような内容の文
章であってくれれば、だ。そこに思想の自由がある。
 版画を買ったら、裏に、右から左への横書き説明があり、いつ頃刷ら
れたのか時代を特定したくなって『横書き登場』を読んだら、学者はこ
こまで物を突き詰めて検証してゆくものなのかと感心させられたのだっ
たが、瀬尾氏は、学者魂を綺麗に捨て去る場をブログに求めたのだろう
か。
 でも、そうであるなら余計に、裏で、かつ本音の言葉だったのだろう
と思えて、謝罪がそらぞらしく響く。
 ちなみに私自身は、友達が妊娠しておなかが大きくなり、出産するま
でを間近に見て、子供はおなかに宿った時から「人」だと感じ、数え年
こそ理に叶っていると考えるようになったのだが、そう主張しても、十
月十日頑張った本人達にすら、まともに取り合ってもらえない。
 敵は、たぶん、年齢は一歳でも若い方が嬉しい女心だ。