出雲ひとり旅

 三月に奈良にお水取りに行った際、春日大社にも行き、木立の中を境
末社を巡っていたら、不意に「霊気」と言うか、えも言われぬすがす
がしさに包まれた。
 太古の昔、そういう特殊な「気」のある所に神社が建てられたのは本
当だと感得できた一瞬である。
 ここ数年のあいだに伊勢神宮住吉大社には行った。
 友が京都に来れば、人混みを避けて、上賀茂神社から下鴨神社を散策
する。
 が、出雲大社は記憶にもないほど幼い日に行ったきりだなあと思うと、
無性に行きたくなり、すると、御本殿のご修造で遷宮が為され、御本殿
の特別拝観が実施されると言うではないか。
 五十九年ぶりと聞けば、これはもう、行くなら今、と背中を押された
ようなもの。
 話に乗ってくれる友がいないので、一人で行った。いよいよ、国内旅
行では初めての経験だ。
 五月最後の特別拝観日、十八日。
 朝十時過ぎに着いたのに、三時間待ちとなり、前に並んだ七十代の夫
婦と会話を交わしつつ時間を潰すことになったが、私が「トイレに行き
たくなったら困りますねえ」と一人旅ならではの弱みを口にすると、
「ここから先にはないから、行くんだったら行ってきなさい」と言って
くれ、年配者からそんな風に命令口調で言われるのは、割と好きな私。
 まだ誰かから命令してもらえる年下の立場というのが嬉しいし、素直
に「はい」と答える自分の従順さも嬉しいし。
 翌日、須佐神社に行った時は、母と娘のペアの、母親の方だった。
 彼女達とは別にタクシーで神社に乗り付けてから、同じバスに乗り合
わせていた同士だと気づき、母親の方が、私も帰りのタクシーを予約し
てあるのは「お金の無駄だわ。一緒に乗りましょ。ね、そうしなさい」。
 携帯電話で予約をキャンセルしながら、私は、心の中で、言われた命
令形を幸せに反芻している。
 ところが、出雲大社のバス停で、バスの行き先を確かめようと、一番
前に並んだ若い女性に尋ねた時は、聞いた私がいけなかったと思わされ
るようなつれなさで、なんで、そう、ギスギスするかなあ。
 一人旅だと、身構えてしまうのか。
 ホテルで夕食を食べて、女性の一人客が意外に多いと知ったけれど、
彼女達も、席が隣り合わせになっても、自分の殻に閉じこもって、決し
て打ち解けない。
 縁結びの神様にお参りしたところで、そういう態度の人に良縁が訪れ
てくれるのかしらん。
 あ!
 未来の恋敵(こいがたき)になるかも、と互いに警戒し合ったってこ
と。
 まさかね。