気づけば、変われる

 緑の季節になったおかげか、花が無惨に切られる事件は聞かなくなっ
たが、この春だけでも、何件、そういうことが起こっただろう。
 季節に関係ない硫化水素自殺は、いつまで続くのだろう。
 人間は学ぶ動物だとしても、学んで真似するのが正常でない方向に向
かう人達っているんだなあ。
 でも、じゃあ、その対極の「真・善・美」に無条件に心が向かうかと
言うと、それは白々しい綺麗事に思えて、受け付けられなかったり。
 私の場合、「気づけば解放される」がそうだった。
 気づくだけで、それまで悶々と心を苦しめられてきた問題があっさり
解決するなんて、本当なの。
 親からの愛情薄く育った人が、自分が親になり、自分の子供を理想的
な愛情で育てているさなか、「でも私は、こんな風に親に愛してもらえ
なかった」と思うと、無邪気にほほえむ我が子が憎らしく見えてきて、
自分の親はそれが精一杯だったのだと納得しても、それで親を赦し、か
つまた、愛されて当然の顔の我が子に嫉妬しないでいられるか、と想像
すると、自分がもらっていない愛情を気のすむまで取り戻してからでな
いと、悔しいとか悲しいとか赦せない感情から自分を解き放てなくて普
通だろうと思う。
 が、「気づけば手放せるのです」と語る人達がいる。
 なぜ。
 そういう人は魂のステージが一段上なのかもしれない。
 胸押し潰される現実で心は悲しみの海でも、それと平行して別の生活
シーンはあり、そこでいろいろな人や書物に触れて心が耕され、魂が一
つも二つも大人になれたなら、やがて悲しい過去を振り返る時、自分を
苦しめた人達の未熟さが見えてくるだろうし、そういう人達に翻弄され
た自分の考え方の癖にも気づけるだろう。そして、当時は仕方なかった
として、その苦しさをこれからも持ち続けるのかと自問すると、身震い
して、嫌な過去とはさっさと決別し、一刻も早く明るい未来に踏み出し
たい欲求が突き上げてくる。そうできる自信も心に漲る。
 親から虐待された子は、自分が親になると子供を虐待する、とまこと
しやかに語られるけれど、百パーセント絶対でないのは、そういうこと
ではないか。
 人生の先達が教えてくれる人生の真実。
 今、理解できないとしたら、自分がまだそのレベルまで到達していな
いからで、もっと心を磨けばいつかわかる日が来る、と確信できること
は、生きる励みになる。
 求めれば、そういう書物にも恵まれた現代。
 幸せだなあ。