「次善」が「最善」になる

 先月、出雲を旅した時の写真を二枚、ようやくお店プリントしてきた。
 須佐神社で母と娘の二人組と出会うと、帰りのタクシーに相乗りし、
バスの中で話し込んだが、前日、同じホテルに泊まっていたことがわか
って、そのホテルに着いたら、もう一期一会は終わりなのに、出会えた
喜びを形に残したくて、一緒に写真に写ってもらったのだ。
 バスの中では、どこからそういう話になったのか。
 賢く立ち回ったつもりでも、所詮は人間の「浅知恵」、「小細工」。
 まだ足りない、もっとほしい、もっと良い物を・・・とあちこち探し
て回る人ほど、的をはずしている。
 そんなことをしなくても、何事にも感謝し、自分の分をわきまえて生
きていれば、神様はちゃんと見ていて、手を貸してくださる。
「本当にそうなんです。自分でもびっくりするようなことが起こるんで
す」
 思わず娘さんが力説したのが印象深かったが、再び、おかあさんが話
を引き取ると、人は、人に何か言われても素直に聞けなかったりするけ
れど、おみくじは神様の言葉なので、謙虚に聞ける。必ず持って帰るの
だが、不思議なのは、あとになって読み返すと、その時の自分に一番必
要なことが書かれていたと改めて実感することだとか。
 私は、御守りは土産感覚でよく買うが、おみくじはとんと買っていな
くて、それと言うのも、適当なことを印刷してあるだけじゃないの、と
疑う気持ちが拭えないせいだが、そう口にしかけて、
「あ! 聞く準備ができた人には、必要な言葉が与えられるんですね」
 私達の会話は、わかる人にはわかるという、人を選ぶ内容だったと思
う。
 それだけに、見ず知らずの人といきなりそういう話ができたことは驚
きで、もし希望する飛行機が取れていたら、この出会いはなかったと思
うと、日程の譲歩ができないわけではないので譲歩した真の意味は、こ
こにあったのかも。
 同様のことは、デパートにサングラスを取りに行った時にもあった。
 電話をしてから取りに行くと言っていたのに、ふらりと立ち寄ったら、
担当者は休みで、別の店員でもいいか、と一瞬思いかけてから、担当者
に義理立てして、日を改めて出向いたら、デパートの特別催事の日に当
たったおかげで、サングラスは割引価格で購入できるし、デパート特製
ノベルティまでもらえたのである。
 思い通りにならないことが、自分にとって最良となる〃天の計らい〃。
 スムーズに行かない時は理由がある、ということなのだろう。