人の見所

 友達が結婚した。
 相手のどこがよかったのかと聞いたら、ちょっと考えてから、
「約束に遅れると、ほとんどの人が言い訳するけど、その人は、ただ頭
を下げて、謝った」
 もちろん、誰もが遅れそうだとわかった時点でメールしてくるが、大
半の人は、着くなり、遅れた理由を説明し始める。だが、それなら仕方
ないわね、と同情したくなるのっぴきならない事態であった試しはなく、
自分を正当化したがっているようにしか聞こえないのが虚しい。
 結婚相手は、一切、言い訳を口にしなかった。
 こういう人なら、これからの人生で何か困った事が起こっても、逞し
く解決法を見つけ出してくると思った。そこがよかった、と。
 付き合うかどうかの初っぱなの出来事だったので、彼の潔さが強く心
に響いたらしい。
 私は、語られたことが唯一の理由だと信じるほどウブではなくなって
いたので、彼女の言葉だけを鵜呑みすることはなかった。だが、一つ挙
げてと言って、それを彼女が取り上げたところに、彼女の人を見る目の
確かさを感じた。
 言い訳。それも自分の非を棚に上げて、自分は悪くないと主張する態
度は、私も好きじゃない。
 そういう心構えだと思考が停止して、前進も進歩もないからだ。
 英語の家庭教師をしている中学生に、この単語はもう既習済みだった
っけ、と訊ねるのは、私の頭には彼女が習った以上の語彙が入ってしま
っているからだが、「習っていない」と彼女が言う。
 絶対に習ったはずの時でも「習っていない」と胸を張るので、教科書
からその箇所を探し出してきて、見せつけると、「先生の教え方が悪い
から」。
 学校の先生のせいにする。
 授業より先に私が教えた文法事項を「まだ習っていない」と言った時
には、彼女に書き取らせているノートを指さし、「これは誰が書いたの
かな」。
 さすがに私の教え方が悪い、と言えない彼女は、ものすごい形相で口
をへの字に曲げた。
 そこまで追い詰めていいのか、一瞬ためらったが、忘れたら、また覚
えればいい。しかし、忘れたのを習っていないと言うのは、絶対、違う。
 忘れたことを咎められると早とちりしたのであったとしたら、そう受
け止めたのも、そういう自己擁護の仕方も間違っていると知ってほしく
て、その後は、彼女に聞くと同時に、教科書でも事実を突き止めること
にした。
 すると、敵もさるもの。
 今では、私に問われると、「さあ・・・」。
 用心深く保留するテクニックを身につけたのだ。