大泣きしました

 人は、誰しも、自分をより良く見せたいもの。
 回想録や自叙伝が得てしてつまらないのはそのせいで、その時、あな
たの気持ちはどうだったの、と自分でもあばきたくない心の奥まで踏み
込んだ言葉を聞きたいなら、架空の物語に向かうしかない。
 日記も然り。
 プロの物書きが、もしかしたら将来出版されるかも、と想定して書く
のでもなければ、「今日はこんなことをしました」的事実の羅列か、自
分の感じ方、考え方だけを正しいと言い募る内容になるのが落ち。
 そう思っていた。
 しかし、この世は広い。
 小脳や脳幹などの神経細胞が最終的には消滅する難病を発症した少女
の日記を読んだ私は、泣きたくないのに涙が出て、泣いて、泣いて、頭
が痛くなった。
 こんな泣き方は、一体、何年、いや、何十年ぶりだろう。
 自己憐憫に流れず、自分の心の動きを追う透徹した眼差しが、十四歳
から二十歳のあいだの若い季節の感性だったと知ると、一層、驚かされ
る。
 四ツ葉のクローバーを探している最中、自身の病気と重ね合わせ、四
ツ葉は三ツ葉の奇形だから、幸せは奇形なのかと疑問を口にし、いとこ
から「珍しいからでしょ」と答えが返ってくると、そうよね、幸せはそ
う簡単に見つからないから、やっと見つけた時、探してよかったと感じ
て幸せなのよね、と理解する。
 病気のせいで、クラスの中で自分だけ、なんの係も割り当てられなか
った時は、「わたし一人あぶれたと思うとつらくなるから、天使の仕事
をしようと考えた。」そして、落ちてるゴミを拾うとか窓を閉めるとか、
やろうと思えばやれることはいっぱいあるではないかと自分に言い聞か
せる。
 ぶざまによろめいて歩く自分の背後で呟かれた声は、しっかり書き留
める。
「かわいそうに・・・ あの子 バカ?」
 寮母さんに「おや、車椅子で行くの? ラクチンでいいわね」と言わ
れた時は、「胸がつまって息ができなくなるくらい悔しかった」
 寝たきりになり、何のために生きているのかと苦悶する娘に、日記を
出版すれば、少しでも社会の役に立てるのではないかと母親が提案し、
判読しづらい文字を母親が筆写して、一冊の本になった。
 頭脳は明晰なまま、体が崩れてゆく絶望の中で書かれた言葉は、私の
心を激しく揺さぶり、こんな読後感は、どんな小説でもあり得なかった。
 木藤亜也の『一リットルの涙』。
 今の人のように思えるけれど、彼女は二十年前、二十五歳で逝ったそ
うな。