「愛」の上乗せをして、送り出す

 この服とあの服のどっちを買おう。
 これはいたく気に入ったけど、買ったとして、使う頻度は高いかなあ、
など、私はよく迷う。
 投資対効果にシビアと言えば聞こえがいいが、さんざん時間をかけて
迷った割には思ったほど活用しないこともあり、迷いすぎた時間が無駄
になった気がしないでもない。
 と、「同じ精神レベルで迷うことは、どっちを選んでも大差ない」と
いう言葉に出合って、アハッ。やっぱりそうなんだ・・・。
 耳に痛いが、心にすとんと収まったのは、「同じ精神レベル」という
言葉のおかげだ。
 誰しも〃今〃の時点で二つ以上の精神レベルを併せ持てないのは当た
り前だが、敢えて指摘されたことで、あっ、と悟れた。
 なるほど、どっちを選んでも、今の私が引き寄せたものだから、大き
く失望することはない。ならば、迷うことを楽しめず、苦痛に感じ出し
たら、ゲーム終了。投げたコインの表か裏で選ぶようないい加減さに身
を任せればいい。
 それよりもっと大切なのは、より良き人や物を引きつけられる自分自
身になれるよう、日頃から心がけておくことではないか。
 だけど。
 人目につかないところで徳を積む。陰徳。
 祖先が功徳を積んでくれると、子や孫に吉事が訪れる。積善の家に余
慶あり。
 そういう言葉は知っていても、何が陰徳で何が積善なのか、わかった
ようでわからない。
 どうすれば、精神レベルを上げられるのか。
 と、これまた、別の本で「徳を積むとは、人を幸せにすること」とい
うひと言に出くわし、私は、あ、と開眼した。
 なんだ、そういうことなの。
 私の心の内はどうでもいい。ただ、人を笑顔にする行動や言葉を実行
する。
 心と裏腹の言動では相手に見透かされるのではないか、とか、その欺
瞞が私自身に居心地悪い、とためらう必要はない。
 なぜって、きっと相手から感謝の笑顔が返ってくるはずで、それは私
自身を喜ばせるから、続けていれば、心が行動に一致する日は来るだろ
う。
 そういえば、テレビで見たなあ。
「美味しくなりますようにと心の中で言いながら、かき混ぜている」と
照れたように話した、カレー屋のおばさん。
「お客さんが喜んでくれますようにと祈りながらおにぎりを握っている」
と語った、おにぎり屋のおばさん。
 自分自身より、家族より、友達より、遠い人のためである方が、無私
の愛が輝くから。
 仕事の仕上げに〃愛〃を上乗せ。
 そこから始めてみるとしよう。