幸せの極意

 今日は敬老の日で祝日だが、家にいる。
 窓を閉めるとむっとする。でも、開けると寒いかなあ、と窓を開け閉
めしつつ、所在ないひととき。先日、偶然、テレビを付けて、そのまま
最後まで見入った番組を思い出した。
 イギリス貴族の末裔となる女性が、京都の北に、日本人の夫と子供の
三人で築百年以上の古民家を改修して暮らしていて、彼女のイングリッ
シュ・ガーデンが番組のテーマだった。
 在日三十五年以上の彼女は、日本語がほぼ完璧。しかし、母語でない
人らしいたどたどしさはあり、だからだろうか、こぼれ出るひと言ひと
言が、詩のよう。
 ハーブだけでも二百種類に及ぶという庭で、たとえば、ハーブを摘む
時、彼女は「今日は切ってもいいですか」とハーブに語りかけるそうだ
が、植物も人間と同じ生き物として尊び、そんな風に許しを請うのがア
メリカ先住民の習慣と知り、そうするようになった。それまでは、自分
の庭のものを摘むのは当然と考えていて、「謙虚じゃなかった」。
 庭で草木の世話をしていると、季節の変化やいろいろなことに気がつ
く。なので、強いて、どこかに行きたいとは思わない。胸がいっぱい、
満たされている。
 彼女自身は、生まれた場所が肌に合わず、こんな遠い国までやって来
ることになったけれど、今、自分が住んでいる場所には何かしら素晴し
いものがあり、それを見るのは、「生きているのは、いい気分」。
 ・・・録画せず、走り書きで書き留めたので、多少の誤差はあるだろ
うが、だいたい、こんなことを、彼女、ベニシア・スタンリー・スミス
は語ったのだった。
 そして、私は、不意を突かれて、涙が出そうになった。
 今、読み返すと、涙腺は平穏だが、やっぱり感動させられる。
 庭に植えたハーブや花や木の実で、ジャムやケーキやパンを作り、化
粧品を作る。
 魔法のような豊かさに憧れを掻き立てられるが、その豊かさの源泉は、
彼女自身の中にある。
 汲めども尽きぬ源泉。
 彼女なら、ここでなくても、別のどこかでも、同じことを言える環境
を、そのうち整えるであろう。
 幸せとは、結局のところ、心の状態。
 即席で、お金で調達できないほど、幸せは大きく、しかも持続する。
 そんな幸せの本質を具現化している彼女の生き方に、私は魅了された
のだと思う。
 彼女から「花には気持ちを込めて水をやりなさい」と言われ、今はそ
うするようになった、という十四歳になる息子の話もよかったなあ。