下戸で良かったと思った、G7後

 田舎暮らしに憧れて移住するのはいいけれど、想像と違う現実に、尻
尾を巻いて立ち去ることになった暁(あかつき)には、注ぎ込んだ退職
金は回収不能で貧乏な老後に甘んじる日々、とならないとも限らないか
ら、よーく考えるんですよ。体力は大丈夫ですか。病院過疎地域でもサ
バイバルできるんですね〜。というようなことを書いた丸山健二の『田
舎暮らしに殺されない法』。
 私自身は、生きるための原点、食べ物確保の能力に関して、すぐにも
腰が悲鳴を上げ、軽い畑仕事もままならぬことから、農業も田舎暮らし
も無理な夢だと、著者の老婆心を待つまでもなく悟っているが、著者は
酒と煙草をやめよ、とも説く。
「酒は薬ではなく毒」「理性と知性を麻痺させ、健康を蝕み、人をひと
でなくさせてしまう、麻薬と同等の異常な液体」に始まり、怒りのごと
き気迫に満ちた文章は、私は下戸(げこ)ゆえ、のんきに頷けるものの、
酒に特別恨みでもあるのですか、と聞きたくなるほど。
 が、あまりの憤怒のおかげで、私は思い出した。
 以前、真夏に入院した母を見舞いに来た叔母は、病院の中で食べる自
分用に寿司を買って来たが、飲み物は缶ビールで、母があとで「病院は
アルコール禁止なので、あ〜あと思った」とぼやいていた。
 別の年だが同じく真夏。フランス人を夫に持つ知人が、夫婦で二年間
の長期休暇を取得し、関西の田舎に住んだので、泊まりがけで遊びに行
ったら、昼食の時に旦那が缶ビールをグビリ。
 と、今日は飲まないと言っていた知人が「やっぱり飲む」と前言撤回。
「そう言うだろうと思っていた」とは旦那の言。
 私は、飲める人は、特に真夏だと、サイダーみたいな感覚で飲みたく
なるんだろうなと寛容だった。人格が変わるほど泥酔することもないん
だし。
 けれども、丸山健二の「あなたが酒を好きになっているのではありま
せん。あなたの体が酒を求めてやまない、酒無しでは生きられない状態
に陥っているだけなのです」という言葉に、そうか、そういう理解が当
然だったのだ、と目が醒めた。
 飲まないと決めたら、半年、一年、飲まなくても平気。そうであるな
ら、酒に中毒していない。
 そうでないなら、アルコール中毒
 そう言ったら、叔母も知人も反撥するだろう。でも、G7後の記者会
見で世界に恥を晒した中川昭一氏だって、今でも自分をアル中と思って
いないのではないか。
 酒が常習になると怖いと見せてくれた彼の功績は、偉大だ。