生きる力

 四月から市の非常勤職員になった知り合いであるが、三月末で保育園
のアルバイトを辞めることが決まると、これからは「生きる力」をつけ
たい、と語った言葉が印象的だった。
 生きる力・・・。
 彼女が園長からアルバイトを頼まれた当初、下の子はまだ三歳で、自
分の代わりに子供を保育園に迎えに行き、夕方まで面倒見てくれたのは
近くに住む自分の母親。そんな風に妻が実家を頼ることで成り立つ妻の
働き方を夫が歓迎していない、とは園長から聞いた話なので、そのとお
りかもしれないし、夫の否定は、手放しで喜べないまでも、見ない振り
をしていられる程度の軽い不快にすぎなかったかもしれない。
 なんにせよ、今年に入って給料が大きく減らされる事態に遭遇してし
まえば、そんな不満はどこへやら。妻が収入をもたらしてくれるのは一
転して安堵となったことだろう。
 が、主婦の小遣い稼ぎでは足りないと、妻に焦りが出た。
 で、どうせ働くなら、より多くの収入を得たいと望み、試験を受けた
ら合格。
 すばらしい僥倖であるが、夫の扶養からはずれる仕事は、アルバイト
とは気構えが違ってくる。果たして自分にできるのか。
 やすやすとやれることでなく、不得手であったり苦手なことほど重要
だとか価値があると思いそうになる。彼女が仕事を「生きる力」と考え
たのは、そのせいだろう。
 と言うことは、真面目に働いていれば悪いようにはされないと日本の
会社や社会を信じ、〃仕事命〃で生きてきた男の人達がいたとするなら、
彼らにとっての「生きる力」は、家事と育児の能力になるだろうか。
 どうしても苦手だからと、料理ではなく後片付けで許してもらうにし
ても、家族が平日のうちのたった一日も一緒に夕食を食べられない働き
方は、やっぱり変だよ。
 生きることと働くことが本末転倒しているし、そこまで滅私奉公して
も、会社は、最終的には自分や家族を護ってくれない。
 それに気づけたとしたら、今回の、アメリカに端を発する世界不況の
影響もなかなか悪くなかったのではないか。
 フランスで知人宅にホームステイしていた時、夕食を食べ、子供達に
寝る準備をさせると、夫婦が私に「留守を頼むわね」と言って、学校の
父兄会に出かけていった。
 午後七時だったか八時だったか、そういう時刻に両親を集める。
〃家族の当たり前〃を尊重すれば、そうなる。フランスの当たり前を羨
ましく感じたことを思い出す。