仕事は、人間関係

 少し前に新聞で読んだ読者相談が、うっすら心に引っかかっていた。
 学生時代は、自分の好きなこと、得意なことを仕事にせよと教わった
が、社会に出ると、そういう訳にいかず、人からも、仕事は食べるため
だと言われ、でも、生活のためだけに働いていると努力が空回りしてい
るようでつらい、という内容だった。
 うーん、この人、学生時代に聞いた教えを真に受けたんだ。でも、そ
れってナイーブすぎない。
 それに、ほかの助言はなくて、それだけだったっていうのも、ちょい
と不思議。
 が、仮にそうだったとして、自分は人と話をするのが好きだから、営
業向きかな。一日中、机に向かっていても飽きないから、事務や経理
な、ぐらいの大雑把な自己認識をしておくとよい、という意味だったの
ではないか。
 それを、もっと厳密に職種や職業を特定するものだと理解したような
ところが気になるし、そうであるなら、とっても傲慢。
 好きや得意は自分自身の主観にすぎないのに、それがそのまま社会に
通用して当然、と発想していることになるからだ。
 だいたい、コレ以外は何もできない、っていう能力って、逃げ場がな
くて、きついわよねえ。
 などと言っていたら、友がひと言、
「その人、人間関係が下手なんやわ」。
 確かに、相談者は、最初の就職先でサラリーマン生活に馴染めず、も
う三回転職したということだったが、私がそれにさらっと触れただけだ
ったのは、それほど重要な鍵になると感じていなかったからだろう。
 しかし、そこにこそ質問者の問題点がある、と友はスパッと本質を見
抜いた。
 しかも、本を読んでいたら、「仕事がつまらないとか自分に合ってい
ないというのは、仕事の問題ではなくて、人間関係の問題」と、これま
た絶妙のタイミングで、私の目の付け所がやはりずれていたと気づかせ
てくれる文章に出くわし、ああ、間違った思考の泥沼で、一人、もがき
続けることにならなくて、助かったあ。
 人は、結果に対し、自分なりの理由・原因を見つけ出す。
 脳が、そういう風にできている。
 でも、それが事実と等身大かどうかは、また別。
 よく学んだつもりだったんだけどなあ。
 英語を教えている五歳の男の子が、あと五分というところで畳に突っ
伏し、レッスン終了に持ち込んだので、引っ張り上げて、抱きかかえ、
理由を問うと、「暑かったから」。
 これは、大いに余裕で右から左に聞き流せたんだけど。
 道は、まだ遠い。