線香花火とお好み焼き

 今年の夏は、例年に比べれば格段にしのぎやすかった。
 それでも、夏嫌いの私は夏が逝ってくれて嬉しい。
 ただ、急に、朝晩、窓を開けていられないくらい涼しくなられると、
過ぎゆく時の速さを感じて、おたおた。
 そんな時、ふと、季語のように思い浮かぶのは、線香花火だ。
 藁の先の黒い火薬に火をつける。
 地味に小さい光がパチパチ闇夜に浮かび、やがて消える。
 どんなに華々しい花火を楽しもうと、最後はしんみり線香花火で締め
くくる。これが今年最後の花火という日は「最後」の思いが二つ重なる
から、一層、気持ちがしんみりする。
 時は移りゆくのだなあ。
 はかないなあ。
 わざわざ説明しなくても、ニホン人同士なら無言で分かり合える「も
ののあわれ」。
 それが、線香花火。
 そう今の今まで信じていたら、関東に行くと、線香花火はド派手な色
の紙製になるんですって。
 ならば、線香花火という言葉に感傷が掻き立てられると私が信じたの
は、梅干しを思い浮かべたら唾が出るというほどにもニホン人の共通意
識になっていなかったってこと・・・?!
 ニホンの公衆トイレがまだ和式の方が多かった頃、アメリカのトイレ
の扉は下が二十センチほど開いていると何かの本で読み、中のトイレを
和式だと想定して、その様子を思い浮かべ、え、丸見え?!と驚いた私
だったが、その時以上のショックである。
 だが、これで驚いてはいけない。
 お好み焼きは、縦横にサイコロ状に切るのが常識以前の常識だと心得
ていたら、関東ではピザ状に切るって言うんだもの。
 それって、発祥の地、関西への対抗意識?
 お好み焼きはピザとは違い、具をよく混ぜ込んでから焼くので、生地
のどこを食べても、中身に差は生じない。それに、ピザのように生地を
手で持ち、中心の細い部分からパクついてゆくわけでもないからして、
お好み焼きの王道のコテで食べるのは嫌という人の意志を尊重するとし
ても、ピザ状のを取り皿の上で箸で切る手間が生じ、それだったら、初
めからサイコロ状に切る方が、ずっと合理的。
 つまりは、西洋風の方がおしゃれというか、西洋コンプレックスから
生み出された食べ方と解釈させてもらってもいいかしらん。
 でも、私はケーベツしたりしない。
 狭いニホンと言えども、地域ごとに特色があるってことなのだから。
 だから、関西人は服の派手だと全国区で小馬鹿にするのは、やめてほ
しいのよねえ。
 そこには、深ーい理由があるんだから。