安さが怖い時

 愚かな犯人みたいに、現場に舞い戻ってしまった・・・。
 先日、LLサイズのTシャツを大量に買い占めたけど、まだどのぐら
い売れ残っているか、気になり、売り場に立ち寄ったのだ。
 私は定価の半額の半額で購入したが、最終赤札が五十%から七十%に
変更になっていて、えっ、私、底値で買えなかったんだ。
 しかし、一枚二百五十円で買う際すでに、いくら安物でもここまで安
いと原価割れではないかと、ひそかに案じたのではなかったか。
 ただ、原価割れでも、さばけたら赤字が軽減できるので、誰かがババ
を引く羽目になったとして、それは私じゃないから、無邪気に感激して
いればいいか、と思い直した。
 が、百五十円まで下がったと知ると、いっそ一円にしてくれればいい
のにと、たがが外れたみたいに厚かましさが暴走する。
 なんたる強欲。
 どうしてだろ、と考えたら、わかった。
 食べ物ではないからだ。
 Tシャツに関しては、製造から販売までのどこかに位置するどこかの
会社が泣いてくれる、つまり赤字を引き受けてくれることで決着が付く。
 食べ物だと、そうはいかない。
 特に加工食品は。
 見た目や匂いで、これはもう腐って食べられない、と消費者自身が判
断できることはなく、印字された賞味期限を信じるのみ。
 その形態が、食べ物なのに、どこか衣服や家電製品と同等のような感
覚をもたらす。また、そのせいで、衣類や家電製品同様、安く買えたら
大成功、と発想しがちになる。
 だが、消費者が「安さ命」と大合唱しすぎると、その声に応えて、ど
こかが無理を引き受けてくれるかと言うと、そういうことはなく、マイ
ナスは食品を口にする消費者自身に降りかかる。
 食品添加物という強い味方が登場して以降、それらを上手に組み合わ
せれば、味は一定レベルを保ったまま、値段を下げられる特殊な世界が
実現したからだ。
 これまでに読んだのは『食品の裏側----みんな大好きな食品添加物
と『日本の「食」は安すぎる』だけだが、ほかにも今のニホンの食事情
を語ってくれる本はあるだろう。
 とにかく。
 安く買って自慢したい私だが、加工食品は別。
 だって、人間も動物。
 牛や豚の肉質を美味しく柔らかく仕上げるために、飼料が厳選される
のであれば、人間とて同じこと。
 良質の食べ物を口にせずして、健康な血肉の体になれるわけがない。
 我が母君は憤怒する。
「そんなことを言っていたら、何も食べられない」。