愛語

「ダンナから背中が広くなったと言われて、傷ついた」と友が言ったの
を受けて、「なんで、そんなこと言うかなあ・・・」と、その場にいな
い友達の夫を私が批難したのは、友が初めに「普段は無口なダンナ」と
断りを述べたからだ。
 これがもし、普段からお喋りなダンナ、という前提であったなら、そ
ういう人はホイホイ褒め言葉も口にしてくれそうだから、この一年のあ
いだに仮に一回しか友に褒め言葉を言っていなくても、その一回のおか
げで、褒め言葉と今回の暴言は一対一のバランスになるし、褒め言葉が
多ければ多いほど、今回の暴言の比率が下がり、友達も、ダンナの言葉
を根に持つことにならなかったはず。
 私としても、
「太ったと言う代わりにそんな言い方ができるなんて、言葉のセンスが
あるじゃない」
 とダンナを褒める立場に回れただろう。
 だが、現実はそうではなく、私の心に眠っていたある疑問が、再び、
目を覚ますことになった。
 結婚すると、相手に向かって語る言葉は変わるものなのか。そうなる
のがこの世の常なのか。 
 これこそは、謎解きされぬまま、未婚の私の心にいつまでも居着いて
いる疑問なのだ。
 恋愛中は、ひとが聞いたら歯が浮くような台詞(せりふ)も平気で口
にできていただろうに、結婚後は、そういう言葉を先に口にした方が負
け、という新たなゲームに突入するものなのか。
 だけど、相思相愛で、この人でなきゃ嫌、とまで思い詰めて結婚した
わけでしょう----結婚の経験がない私の思考は、どうしてもそこの所に
舞い戻ってきたがる。
 というのも、普通の人間関係の場合は、あ、この人のこういうところ
が素敵、と思っても、プライドに邪魔されたり気恥ずかしかったりで言
いそびれることも多いが、惚れた相手に対してならば、プライドなんて
無用の長物。サッサと放っぽり出して、ただもう相手を喜ばせたいとい
う純粋な気持ちを行動に移せることになる。
 頼まれなくても、せっせせっせと相手の良いところを見つけ、針小棒
大に褒めそやしたくなる。
 当然、相手は喜んでくれるし、それを見たら自分自身も嬉しくなり、
めでたく「幸せの循環」がスタートする。
 愛語。
 恋愛は、「自分発」でそうできる人が増えるってこと。
 恋愛の延長戦上にある結婚も同じ。
 そう信じたい私の思考のどこに過ちが潜んでいるのだろう。
 あるいは、愛語とは、そんなにも遣いこなすのが難しいということな
のか。