言葉は手強い

 友は、高校時代に母親を亡くし、過去三回の出産は一人で乗り切った
が、四人目の男の子の出産を目前に、実の妹に協力を頼んだ。
 妹が、二歳の長女と八ヶ月の次女を連れてやってきた。出産を機に専
業主婦になっていて、下の子ももうそれほど手がかからない。でなけれ
ば、子連れで何週間も泊まり込むのは無理だっただろう。
 私はその妹とも友達だったので、出産を間近に控えた友の家で、久し
ぶりに再会すると、言った。
「すべてがグッドタイミングやったねえ」
 傍目(はため)には綱渡りのようでも、当人がサッと足を踏み出せる
状況なら、橋のように太いその綱を、しっかり渡りきればいいだけなん
だろうけど。
「うん。私もそう思う」
「で、結婚生活はどう?」
 彼女は、結婚前に今のダンナと同棲していたが、ダンナが仕事を変え
ると決めたものの、職探しをするでもなく、貯金を切り崩して一日中家
でゲーム三昧という生活に突入して半年後、その生活態度に見切りを付
けた彼女が実家に戻り、するとダンナが慌てて仕事を見つけてきて、と
ころが、その気になったらそんなにすぐに見つかるんじゃない、と思う
と、彼女の怒りはさらに燃えさかることになり、数ヶ月後、ダンナが、
無職のあいだに減った貯金を回復させたと証明するに至り、彼女は結婚
に同意したのであった。
 すったもんだがあっても別れられないと自覚することで、この人と一
生生きていくのだ、と覚悟が定まる。
 一度は通っておくべき道なら、結婚前の方がよさそうだと思う私は、
密かに、彼女のケースを理想の一例とみなしていた。
「うーん。ダンナとは仲が良くも悪くもないよ」
 思わず、私が「うーん」と唸りたくなる。
 人は、なんにでも慣れるようにできていて、しかも、それが自分にと
って好ましいことなら、大抵、態度が横柄になる。
 そうかあ、「幸せ」も例外じゃないんだ。
 もちろん、語られた言葉が心を正確に映し出しているとは限らない。
 が、そういう場合もあるから、言葉は一筋縄ではいかないんだよなあ。
 と思ったら、すぐに、そう実感させられる場面になった。
 体重をいかに減らすかという話題に移ると、彼女が、普段は無口なダ
ンナが、彼女に向かって「この頃、背中が広くなったなあ」と呟いたと
いうのだ。
「あれはショックやった」
 私自身が言われたわけではないのに、「うーん」と唸るだけでは足り
なくて、私は溜め息ついて、
「なんで、そんなこと言うかなあ・・・」