似合う帽子

 先月来日したフランス人の友は、四月なので桜を期待したようだが、
それには到着日が遅すぎる。でも、吉野の奥千本の桜は見頃だろうと、
一緒に奈良に旅行する一日を吉野行きに当てることにした。
 何年か前に買ったままの山歩き用リュックがようやく出番だ。
 もちろんパンツにズック靴。
 が、日焼け対策は、去年買った黒いレースの日傘にしたいなあ。
 たった一回のために帽子は買えない。
 帽子と言えばクロッシュやチューリップハットなど目深なタイプが流
行りだが、その形が美しく感じられたことはない。
 なのに、その帽子仲間に入ることになるのかと思うと、身震いが走る。
 幸い、その手の帽子はどんなに高価でも私に似合わない。
 よって、吉野用に帽子を買うという発想は完全却下。
 だが、友の来日直前、私は、デパートの帽子コーナーで、トルソーが
被った帽子に目が吸い寄せられた。
 ツバが広く、リボンが付いた、麻のブレード帽子。
 好奇心から被ってみると、悪くない。
 身長は高いが頭は小さい私だが、その帽子は、サイズを縮小できるよ
うになっている。
 よく似た別のデザインの帽子を被ってもパッとしないので、最初に目
に付いたのを再び被り、鏡の中の自分自身に見惚れていると、店員が近
づいてきて、
「よくお似合いですよ」。
 やばっ。
「そうやって客に買わせるんですね」
 にやっと私。
「いえいえ。お似合いなのを選んだ方が迷われていたら、気持ちの後押
しをさせてもらえたら嬉しいなあとお声をかけさせていただくだけで」
 そうして始まった会話から、なぜ、その帽子が私に似合うのかを知っ
た。
 丸顔には、頭が入る部分が浅い帽子が似合う。
 つまり、基本的に帽子は似合わない顔立ちってこと。
 にもかかわらず似合うのに出会ってしまったら。
「帽子は出会いだと言われます。チャンスを逃して後悔する方も多いよ
うです。その帽子はきのう入荷したばかりなんです」。
 そう言われたら、買うしかない。
 が、結局、奈良には持って行かなかった。旅行中の天気予報が雨と曇
ばかりだったのだ。
 では、帽子は無駄な買い物だったのか。
 いや、買ったおかげで日傘で山歩きという無謀を回避できたし、でも、
その帽子は厳密には山歩きには不釣り合いなデザインなので、天が私の
奈良旅行中は一日たりとも快晴の日はないようにしてくれた。
 そう信じるならば、その帽子を買った意味は大きい。
 ちなみに、吉野の一日は、安定した曇だった。