一ヶ月前の豆腐

 フランス人の友と小旅行に出かける前日。
 スーパーで豆腐を買った。
 その友の観光に付き合うし、夜はインターネットで列車やバスの時刻
を確かめるために時間を取られ、普段にはない肉体的・精神的疲労が押
し寄せるが、それに対抗すべく私の体が欲するのは、いつも以上に食べ
ること。
 案の定、体重が増えてきたので、せめて旅行の前夜は豆腐をご飯代わ
りにしようと考えたのだ。
 半額の赤札が付いた木綿豆腐が一つあったので、迷わずそれを選ぶ。
 本当なら、そういう買い物もしていられないほど忙しかったので賞味
期限を確認しなかったが、そのスーパーでは、肉や豆腐などの賞味期限
が翌日になると、半額に値が下がる。暗黙のルールを知っているから、
大丈夫なんだ。
 豆腐のぐにゃぐにゃの食感が嫌いな母にも、味噌汁にして、ちょっと
お裾分け。
 と、食べた途端、
「味が変」。
 実は、私も、なんか酸っぱい、と思った。
 でも、即座に箸を置いた母と違い、綺麗に完食。
 そんな私に、
「豆腐は、あたると、卵より怖いのに。まさか、安いのを買ってきたん
とちがうやろね」
 母は、賞味期限直前の値引き商品を嫌悪するタイプ。
 だけど、新鮮なのを買っても、賞味期限間際まで使わないなら、家で
の保存状態はスーパーには劣るだろうし、意味ないじゃん、と批判精神
たくましい私。
 ただ、そんな酸っぱさは初めてだったので、ゴミ箱から豆腐の容器を
取り出した。
 賞味期限は三月十日。
 え、一ヶ月以上も前ってこと。
 愕然としてスーパーに電話したら、現場責任者が訪れ、一時間後には
副店長が。
 店の商品管理上、そういう事態は起こり得ないはずだが、まず大切な
のは私の体調ということで、半ば強制的に救急病院に連行された。
 医者は、腐った豆腐に、万一、細菌が発生していた場合のために抗生
物質を処方してくれた。
 翌日からの旅先には、毎日、副店長から体調を確かめる電話が入る。
 身が縮まる思いだ。
 だって、誰かの悪意の嫌がらせだったにせよ、私がまんまと餌食(え
じき)にならずに済むチャンスは二度もあった。
 日頃から信用している店であっても、どんなに急いでいても、賞味期
限は確かめるべきだし、味が変だと感じたら、食べるのを止めればいい。
 それを、自分の舌より店を信じて完食したとは、なんとも現代人らし
い愚かしさではないか。
 が、今、もっとも不気味に感じるのは、一ヶ月以上前の豆腐でも食あ
たりしなかった事実だ。