金魚が死んで

 二年前の夏、金魚すくいでもらった六匹のうち、四匹はすぐ死んだが、
二匹は生き延びた。
 雄と雌だったようで、ほどなく産卵もスタート。稚魚専用の餌が手に
入らなくて、卵はさっさと洗い流すことになったけど。
 体長が八センチほどになると、雄は流線型、雌はおなかが左右にぷっ
くり突き出る体型になり、その体型が示唆するとおり、雌はゆらゆら、
おっとり泳ぐ。
 が、昨夜はさらにおっとり、水面近くをほとんど静止した状態でたゆ
とう。
「なんか具合悪そう」
 母が言う。
 実は、雄の方が、体のひとところが一センチほどイボのように盛り上
がり、大丈夫なのかと気を揉むようになっていたので、雌の方だなんて、
思わぬ伏兵である。
 翌朝用に汲み置いた水を少し投入してみた。
 そして今朝。
 水を換えようとしたら、雌が死んでいる。
 隔離して塩水に入れてやるべきだったかと悔やまれるが、そうしてい
たら死なずに済んだかは検証のしようがない。
 気持ち悪さをぐっと堪えて、処分した。
 そう。
 死んだ途端、「気持ち悪い」と感じてしまう。
 死体の始末をしなくちゃならない立場だと、余計にそう感じる。
 その気持ちをグッと心の中だけに押しとどめられるのは、「最期」ま
で面倒見てこそ飼う資格があるのだと、なんとか頑張って大人の理性を
発揮するから。
 でも、もしかしたら「気持ち悪い」と感じるのは悪いことではないか
も。
 死体を目にすると、なんか居心地が悪い。できれば目を背けたい。
 一種の違和感であり、違和感を持つということは、生き物の死を無感
情に右から左にやり過ごせるものではないという意味になるのではない
か。
 死を見て、生き物の命について考えさせられる。
 宮崎県で、牛や豚が口蹄疫に感染し、殺処分が続いている。
「殺処分」という言葉遣いは、それでいいのか、と誰かが疑問を投げか
けていた。
 確かに。
 不要になった服を燃やして処分するのとは、訳が違う。
 無機質な言葉を遣えば、心がきしまなくなるなんて、あり得ない。
 私は、死んだ金魚を処分するのですら、気持ち悪かった。
『JA宮崎中央ブログ』に、殺処分担当の獣医が「俺たちたぶん地獄行
きだな・・・」と呟いていたと載っていたけど、心配なさるな。
 あなた達が地獄行きなら、私達とて同類。
 私達の代わりにしてくれているだけなのだから。
 ただ、無関係を装っていられるお気楽さは否めず、今晩、我が家の夕
食は「焼き肉」でした。