PK戦のアナウンス

 きのうも、寝たのは深夜の一時。
 2010 FIFAワールドカップを見ていた。
 トップクラスの試合は興奮させられる。
 ただ、選手が余裕をなくすと、故意に暴力的な反則行為に出たりして、
スポーツからかけ離れる時がある。
 その点、日本は、追い込まれても焦っても、そうならないところが世
界に誇れる美徳である。
 六月二十九日にPK戦でパラグアイに負けたけど。
 ところで、このPK戦。駒野が蹴る前から、彼ははずすと確信できて
いた。
 地上波で見ていたのだが、その時のアナウンサーは、ブブゼラよりお
喋りがうるさいし、解説者に話を振ったのに、低い声で実況中継の二重
奏を試みたりで、試合に集中しづらいアナウンスだったが、駒野の番が
来ると、彼の決定力に一抹の不安でもあるのかと裏読みしたくなるコメ
ントを口にしてから、「入れてくれ〜!」と叫んだのだ。
「決めてくれ〜!」だったかも。
 正確な言葉は覚えていないが、この手の言葉だ。
 だから私は、あ、こりゃ、入らない、と見る直前にわかってしまった。
「入れてくれ」というのは祈り。入らない確率の方を信じているから口
をついて出てくる言葉。
 たとえば、そんな場所に置いていたら「落ちる可能性がある」と忠告
する時、
「そんな所に置いていたら、落ちるよ」
 という言い方をする人がいるかもしれない。
 純粋に親切心から出た忠告ではあるだろう。しかし、この言い方だと、
「落ちてくれ」という祈りが入り込む隙がある。
 あるいは、「落ちるのでは」という恐怖心。
 だから、実際に落ちると、
「ほうら、ごらん」
「だから言わないこっちゃない」
 落ちて割れた物それ自体ではなく、自分の予想通りの結果になったこ
とに焦点が向かい、責める顔がちょっと得意げになったりする。
 もし私自身が言われたのなら、
「要は、そうなってほしいってこと?」
 と言い返し、言った本人も意識していないだろう負の祈りを即座に無
効にするところだが、駒野に関しては、アナウンサーが電波を通じて叫
んでしまった。
 ために、私のように感化されやすい視聴者は「入らない」というアナ
ウンサーの怯えを感受し、ああ、入らないんだと素直に受け止め、その
膨大なるエネルギーが駒野に集中して、結果、アナウンサーの深層心理
が描くとおりが具現した。
 そう勝手に理解している。
 さて、今夜の「アルゼンチン対ドイツ」の地上波放送は、またその局。
 アナウンサーは誰なんだろう・・・。