崇高さと不甲斐なさ

 テレビや本で専門知識を見聞きするのは、賢くなった気がして楽しい。
 けど、私は、そのわずかな学びを壮大なる発想にまで突っ走らせる傾
向があるのかなあ。
 生物誕生から人間への進化を知ると、先祖を拝むのならミトコンドリ
アでしょう、と考えたくなる。みんながそう発想すれば、短いスパンの
家系も人種も超越して、心の底から「人類、生物、みな同胞」という境
地になれるので、あながち悪くない考えだと思うんだけど。
 NHKの『地球ドラマチック』で二億五千万年後の地球は大陸が今と
まったく違う形に変動していると学ぶと、その第一歩となる大がかりな
地殻変動が私が生きている間に起こっても不思議はないわよね、と思う。
 なので、地震学者や地質学者が今回の地震津波を「想定外」だと発
言しても、私は、
「え、そうかなあ」。
 もっとも、詳細な調査研究データを積み上げて物を喋ってこそ、まっ
とうなる学者ではある。
 ならば、昔であれば打ち首にすべきは誰ぞ。
 原発御用学者か。
 そう思おうとすると、津波の研究成果の報告を東京電力が耐震指針に
取り入れなかったという記事が出て、じゃあ、悪いのは東京電力、と思
いかけると、二〇〇六年の新耐震指針に津波の想定が詳しく記載されな
かったのは産業界からの圧力のせいだと解説がついていて、東京電力
けが悪くはないのかも、と考えが揺らいでくる。一九九〇年代から指摘
されていた耐震指針の見直し要請を先延ばしにしたのも産業界からの圧
力だったそうだし。
 基準を厳しくすれば、コストがかかる。
 コストを最小限に抑えようと考えるのは、人の常。
 建設業界でもどこでも、みな、同じ発想で動いている。
 不手際がばれて糾弾されれば、責任転嫁や事実隠しも試みるだろう。
 そう考え詰めてゆくと、吊し上げる相手を見つけかねて、心はうろう
ろ。
 ただ、原発は、廃炉を覚悟しても放置すればそれで終焉とできないと
ころに深刻さがある。
 CNNテレビの記者からインタビューされ、東京電力の社員が、
「もっとと言われるが、これ以上何をもっとすればいいのかわからない」
 と英語で答えていたが、猛獣をひとまず眠らせるだけでも苦慮してい
る本音が伝わってきて、私は言葉を失った。
 被災者同士や被災者支援で発揮されている日本人の崇高なる精神。
 原発事故で暴かれた日本の責任機関の不甲斐なさ。
 どちらも、一人の人間の中にある気質なのかもしれない。
 美徳は伸ばし、欠点は修正。
 今回のことを経験に、そうなれたらいいのだが。


 ちなみに、原発は夜間も運転を止められないからと国をあげてオール
電化まで勧めておいて一転、さらなる節電意識強化のために電気代の値
上げも要検討と言い出した与謝野経済財政相って、どうよ。
 農産物の出荷停止が始まったこの時点で、放射性物質の基準値緩和を
口にした岡田幹事長って、どうよ。
 被災地にいるわけでもないのに、パリパリの防災服でパフォーマンス
している民主党って、どうよ。
 一方、福島県の立谷秀清(たちや ひできよ) 相馬市長は、自身のメル
マガ、三月二十四日号『ろう城』と二十六日号『市長訓示』に実に気骨
ある文章を載せた。
 相馬市民は幸せ者だ。


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