国破れて原発あり

 福島原発放射能漏れで、ほうれん草に放射性物質の基準値を上回る
数値が出て出荷停止になると、基準値がもともと厳しすぎたので、ゆる
めたらという声が起こり、それを岡田幹事長が口にした。
「あ〜あ」
 人の心の動きをわかってないなあ。
 物事にはタイミングがある。
 従来の基準だと困る事態が生じた時に、実はその基準は厳しすぎたん
ですと弁明して基準を変えて、誰がそんな言葉を信じるだろう。
 もし本気でそう考えている場合でも、その基準と新基準を並列して発
表し、根気よく理由も説明し続け、理性ある人達が理知的に行動してく
れるのを待つのが一番。
 それを、単に基準を変えて新基準を打ち出すならば、理知的少数派で
すら、かような基準が話題にのぼる物や事には近づかないようにしよう
と考えるだろう。
 けど、選べる立場になれる人は幸せかも。
 原発事故処理に携わる作業員達は、あまりにみじめな食事が一日二回
で、夜は雑魚寝。
 その過酷さをNHKは報道しない。民放も問題として取り上げない。
 しかも、原発事故で五千台あった線量計のうち使えるのは三百二十台
だけになったからと、東京電力は内規を変え、作業員一人に一台付与す
べきところをグループに一台にしていたことがあかるみに出た。
「ほうらね。基準変更には、やっぱりよからぬ裏がある」
 三月十五日には、厚生労働省が、作業員の年間放射線量の限度を百ミ
シーベルトから二百五十ミリシーベルトまで上げていて、それ自体、
少数を切り捨てても大多数を救うという恐ろしい発想なのに、作業員が
自らを守る唯一の手立てとなる線量計を渡していないとしたら、彼らは
もう本当に、私達のための「人柱」あるいは「人身御供(ひとみごくう)」。
 それほどの危険を強いる権利が、私に、私達にあるのか。
 冷却用電源が全滅したばかりか、建屋も堤防も、あれもこれもと次々
損傷が見つかるが、制御不能の最悪の事態にも対処できる準備があって
こそのリスク管理だろうに、それはない、と言うのだから、悲しさ、悔
しさを通り越して、気持ちが落ち込んでしまう。
 海で魚や貝を捕り、山で木の実を食べ、喉が渇けば川の水を飲む。
 そういうサバイバルができる自然の恵み溢れる国だったのに。
 土は、川は、海は、どこまで汚染されるのだろう。
 三十年以内に五十%の確率で東南海地震が起こるそうな。
 それで西ニホンがやられる時、それでもまだ、ニホンには我々が自給
自足できる健康な自然が残っていてくれるのだろうか。