お花見

 友達と、京都の嵐山にお花見に行った。
 混雑を覚悟して行ったが、渡月橋は人影少なく、鳥の声、川をゆく舟
の櫂の音がのどかに大きく耳に届き、嵯峨野の細道は普段は人が多すぎ
て足もとも見えないぐらいなのに、ずっと先まで見通せる。
 なぜ。
 震災以降、関東や北海道、外国からの客が途絶えたせいだと、にしん
定食を食べた食堂の女主人が教えてくれた。
 疑問を口にしなければ、公表では桜はまだ三分咲きだから、あるいは
時間が早すぎるせい、と勝手に思い込んでいたと思うと、状況をよく知
る人に聞くのは大切だなあ。
 が、そんな私を、友は、
「羨ましいけど、真似できない」
 ・・・。私は普通じゃないんだ。
 ならば、私は過去に、普通でない大人に影響を受けたはず、と記憶を
たぐるも、見当たらない。
 私は突然変異かい?!
 でも、私の厚かましさは思考の根底に人皆きょうだいという感覚があ
るゆえだとするなら、そういう感覚を持てる育ち方ができて、よかった
かも。
 桜の前で交代で写真を撮っている二人組の中年女性には、
「二人一緒に撮ってあげましょうか」
 門から中が見えない小さな祇王寺では、そこにいた男性に、
「中の桜はどうでしたか」
 すると、妻は今、中にいるが、自分は車を置きにいっていたので入っ
ていないと答えてから、天龍寺が良かったと言い、首からかけていたデ
ジタル一眼で撮った画像を見せてくれ、デジカメ時代ならではの説得力
に納得させられた私達は、化野念仏寺から折り返して道を戻って来る時
に拝観することにした。
 ところが、客がいない土産物屋の女主人に、
「人が少ないですねえ」
 と言ってから、お勧めのお寺を訪ねたら、同じ道を戻らず大覚寺まで
行く方がいいと言う。
「ここから歩けるんですか」
「歩けます」
 天龍寺の案はあっさり消滅。
 大覚寺に到着し、庭に桜はあるのかなあと大きな門からのぞいていた
ら、中年男性に声をかけられた。
「私から声をかけたんじゃないからね」
 あとで友にはしっかりアピールしたけど、その男性は、そこから歩い
て二十分ほどの庭の桜が今日までの無料一般公開で必見ですよと教えて
くれる。
 私が話を聞いている横で、友は、その男性の妻に、
「どこから来られたんですか。千葉ですか」
 と、見知らぬ人との会話デビュー。
 この日、私から声をかけたのは、一人旅のポーランド女性を含め、計
十一人。
 うち何人かは正確かつ有意義な情報をくれたので、美しい桜を堪能し、
でも出費は交通費と食費のみ。
 理想的な花見となった。